ホロスコ星物語139
儀礼の開始をディセンダント公が宣言すると、同時に、フローラは鞘から一本の蒼身の刀を抜き放ち、その魔剣の力を解き放ちます。一瞬だけパラスを気にする素振りを見せましたが、莉々須のおかげか、覚悟はすでに決まっているようでした。
魔剣からは、風と水の魔力が舞い踊り、対峙するユリアナへと威嚇するように、豪風を吹き起こします。
対するユリアナは、同時に氷雪の魔女の名に相応しい、全てを凍てつかせるほどの強大な魔力を杖から解き放っていて、それだけで神殿内の気温が、真冬のような気温まで一気に引き下げられます。
「いや、さっむっ! ちょっと、嘘でしょ!?」
エリザベータは、その気温の下がりように思わず悲鳴をあげます。
盤上で対峙するフローラは、剣によって纏われた空気の層が極寒の冷気を遮断しているようで、気温の低下に悩まされている様子はありません。おそらくは莉々須の入れ知恵によるもので、これで冷気を防ぎながら戦おうというわけです。
けれど盤上の外、観客席にいるエリザベータには、春の暖かな気候から急に真冬の寒空に放り出されたような、刺すような冷たさが襲いかかってきています。6月現在、エリザベータのドレスもやや薄手に仕上がっていて、こんな空間、五分といたら風邪を引いてしまいます。
それから、ふと心配になって神像の方を眺めますが、王妃の席は、その天蓋と敷物の間で結界が張られているらしく、そこまで寒さの影響があるようには見えません。また、盤上にいた公爵はさっさと盤外に移動して、これまた小規模な結界の中に収まっています。
あとはパラスの位置ですが、、どうしたことか、王妃からやや下がった位置で待機するパラスは、吐く息も白く、寒さに震えながら試合を眺めていて、特にこれと言った防備がされていないようです。エリザベータは、なにやってんのよ、と一つ舌打ちをして、対冷気の結界を自身に張りつつ、闘技場の外周を大回りしてパラスの下へと急ぎます。
そんな外の状況にはかまわず、フローラとユリアナの試合は始まっています。フローラはその風と水の魔力で、冷気から自分を守りながら剣擊を仕掛け、ユリアナはその膨大な魔力を駆使して、氷の槍や巨大な氷柱を練り上げ、防御と攻撃の双方をこなしています。
氷の塊自体は、フローラの剣によってことごとく切り払われていきますが、ユリアナの魔力は無尽蔵とも言えるほど繰り返し氷柱を生み出し、幾度も地面から生えてくる氷槍がフローラの行く手を阻み続けます。
「はあっ!」
と、フローラが中空へと飛び出し、上空から一気にユリアナへの接近を図ります。勿論ユリアナも黙ってそれを許すはずがなく、それを撃ち落とそうと、とてつもない数の氷槍でそれを迎撃にかかります。
フローラは、その槍を剣で払いつつ、その氷の、あまりの密度の高さに舌打ちして、風を利用し地面へと急降下します。そこに、更に氷槍が追撃し、フローラは、今度はその暴風でもって、全ての氷槍を打ち砕きます。
そして、砕けた氷が、キラキラと光を反射させながら盤上へと舞い散り、フローラがその破片を避けて隅へと後退したところで、お互いに一度呼吸を整えます。
戦闘能力自体は、ここまでほぼ互角と見ていいでしょう。近接武器を持つフローラは、近付くことさえできれば優位を取れるでしょうが、そのためにはあの氷の障壁たちをどうにかして掻い潜らなければなりません。
「さすがは北嶺の魔女、、そう易々と勝たせていただける相手ではありませんね」
「南方の守護神、アルデガルドの娘にそう言われるのは光栄です。が、私は負けません。絶対に」
ユリアナは、すでに普段浮かべている穏やかな笑みはなく、儀礼前にバルコニーでコエリやエリザベータが見たような、冷たい、射抜くような視線をフローラへと向けます。
ゾディアック領土の北端と南端という距離もあって、フローラは、これまでユリアナとの面識はありません。だから、いかに今は儀礼で敵対する関係にあるとはいえ、そこまで冷たい目線を向けられるような身に覚えはありません。
ただ、フローラには未来予知の聖女が味方についていて、、この試合についても、外気を遮断する冷気への対処を始め、既にいくつかのアドバイスを受け取っています。剣士として目覚めたあとのフローラにとって、この一週間は、パラスにその剣技を披露する、という覚悟を決める期間であると同時に、主にその儀礼で出される課題や、対戦相手についての情報の記憶と、その対策のための訓練に費やされていたのです。
だから、例え今この場で目にするまでは信じられなかったとしても、ユリアナが自分の相手になるであろうことも、こうして、ユリアナが豹変した理由もわかっています。
フローラは、これが自分の天命、役割であると割りきり、そのアドバイスで受けた莉々須からの言葉をもとに、ゆっくりとその内面へと切り込んでいきます。
「ユリアナ、、それがーーそうしてここで勝利し、儀礼を制することが、貴女の目的なのですよね? あなたのお姉さんへの、弔いのために」
「っ!?」
その最後の言葉と同時に、ユリアナの顔色が目に見えて変わります。それと同時に、今まで抑えられていた、怒りや憎悪と言った、恨みや、悲哀の感情がユリアナから吹き出すのも、皆が目撃します。
姉の、弔い、、その言葉の意味するところは、言うまでもありません。ユリアナは、その様々な負の感情を圧し殺すように、けれどその怒りに大きく瞳を歪ませて、フローラへと問いかけます。
「フローラ様、あなた、、私の、何を調べました?」
「私は何も。けれど、未来予知の聖女様が私へと、色々なアドバイスをくださいました。貴女がこの儀礼の場で何を思い、何故ここへ挑み、ここでしてくるであろうことや、その背景も」
ほとんど殺気混じりの冷気を放つユリアナに、フローラは落ち着いた声で応えます。その過去が、この屋敷の主である公爵、パラス、そしてこの場を取り仕切る王妃、全員と関わってくることも。全て承知でこの場に臨んだのだと。
遠く、円形の競技場の外周を回っているエリザベータには、それが何を意味する言葉なのかはわかりません。けれど、ようやくパラスの下へと辿り着き、対冷気の結界を発動させた時、パラスが、やはりか、、と悲痛に呟く声が聞こえてきました。
フローラは、そんなパラスへと、わずかに気がかりな目を向けた後、もう一歩、静かにその過去へと切り込みます。
「だから、私は知っているのです。10年前、元王妃であるディセンダント公爵様の後を継ぐ、新たな正妃の決定に際し、今日と同じように儀礼が開かれーーその時、貴女の姉、アルフォンシーナこそが現在の王妃であるメリディアン様と争った、最後の対戦相手であったことを」
それはーー、ディセンダント公が王妃の座を辞し、公爵の位へと引き下がった際に、新たな王妃を選出するために開かれた、儀礼の中のことで。
10年前の当時、既に王の妾であったメリディアンと、10歳離れたユリアナの姉、アルフォンシーナは、空席となった王妃の座へと新たに収まるべく、お互いに自分なりの国家安寧の未来像を抱いて、王家伝来の儀礼へと臨みました。
二人は、先代のディセンダント公と、アセンダント公エリスの実力があまりに高かったことから、人々からの期待も一歩後を引くようなものではあったけれど、それでも正々堂々と儀礼に臨み、そして、最後の二人の対戦、儀礼の結末をアルフォンシーナが制したことで、この儀礼は一旦は幕を閉じます。
「アルフォンシーナが制した? メリディアン様ではありませんの?」
フローラは、盤上で佇むユリアナに向けて、その当時の背景を解説し始め、ようやくパラスの下へ着いたエリザベータは、結界を維持しながら、自分の結界の内側、後方に納めた、事情を知っているであろうパラスへ、その結論部分について一つ疑問を差し挟みます。
戦いを制したのではなく、儀礼そのものをアルフォンシーナが制したと、そうフローラは言いました。しかし、だというのなら、今現在王妃に収まっているのは、メリディアンではなく、アルフォンシーナでなければならないはずなのです。
けれど、実際に今ここにいるのは、メリディアンで、、勿論、盤上の二人からは距離があるため、エリザベータのその疑問に反応する声はありません。けれど、そのエリザベータに守られている背後から、パラスがそっとエリザベータの肩に手を置き、そうだよ、と小さな声で答えます。
「現職の王妃、メリディアン様は、この儀礼において勝利されてはいない。いかに前王妃の推薦があり、当時王の妾であったとはいえ、儀礼では対等な立場、本来であれば、王妃の座にはこのメルクシアの血筋を持つ、アルフォンシーナが収まっているはずだった」
「では、、何故」
「これはね、以前小恵理が、ジュノーと儀礼なしに婚約者へと収まった、大きな要因にもなったのだけれど、、当時はまだ、令嬢たちの体調への配慮であったり、後日戴冠の場で発表される風潮があったこと、国民の興味関心を集めるため等の名目で、儀礼の場で婚約者へと決定、発表まではされていなかったんだ」
だから、この儀礼の最終的な勝者になった人間に、正式な発表がなされる前に、後で集団でこの決定を辞退するよう迫り、敗者となった者に対して王家の妻へとその座を譲るよう、圧力をかけるという事案があったのだとパラスは言います。ーーちょうどコエリと莉々須が、このディセンダント公邸でかつて聞いたように。
その話に、エリザベータは驚いて思わずパラスへと、追求するように問いかけてしまいます。
「は、敗者であっても王家の妻にって、、で、ではまさか、メリディアン様が何か事件を、、!?」
「違うよ。当時その事件を起こした主犯は、その手前で二人に敗北した令嬢の一人だ。彼女は儀礼の直後、王妃への野望を捨てきれず、決勝で残った二人の双方と、もう一人敗退した令嬢、全員に辞退を迫るべく、自らの抱える兵を動かした」
これがかつて、ディセンダント公がコエリと莉々須の二人へと思わず漏らした、あれはカオスだった、と嘆いた一件です。だから今回開かれた儀礼では、儀礼が終わった段階で、婚約者だと決定し発表までを終えるよう、変更が成されています。今回拝覧者をほとんど認めない儀礼で、あえて各国の重鎮を招いているのは、そういった理由があるのです。
パラスは悲痛な表情で盤上の二人を眺めながら、懺悔でもするかのように話を続けます。
「同じ刺客に狙われたメリディアン様とアルフォンシーナ、二人の違いは、守ってくれる王家がいるかいないかだった」
かつてのディセンダント公と、アセンダントの妻エリスは、その血筋や実力の高さもあってか、儀礼での見事な成績から、どちらもが誰もに敬意を払われ、誰かが圧力をかけに来るなどということはありませんでした。
だから、次に王妃が選出された際、先代の二人には、実力、血筋ともに大きく劣るメリディアンとアルフォンシーナであっても、まさかそんな事件は起こるまいとーー敗者が勝者に刃を向ける事態など、この神聖なる儀礼で起こるはずがないと、誰もが油断していたのです。
結果として、敗者であったメリディアンは、けれど他ならぬ王の愛妾であったこともあり、王家から護衛が送られていたことで、この令嬢が兵を動かした際にも、その護衛の働きとメリディアン本人の機転によって、その難を逃れることができました。
けれど、北嶺の魔女と名高かったアルフォンシーナは、その実力の高さ、気高さ、プライドの高さなどから、その帰路において、護衛が付くことはなくーー
「これは僕らも後で知ったことだけれど、、アルフォンシーナは、翌日未明、腹部から血を流し、既に亡くなった状態で発見されたという。そして、、彼女を刺した犯人は、翌日すぐに捕まった。その後、彼は大勢で囲んでアルフォンシーナを脅しかけ、彼自身は後ろでアルフォンシーナを脅そうと刃物を向けていたところ、急にアルフォンシーナが背後へと振り向いて駆け出そうとしたため、避けられずにぶつかってしまったと、その際に、刺した感触があったと、自供している」
時間はすでに夜も遅く、場所が暗がりで新月だったのもあって、アルフォンシーナに刃物は見えていなかったのだろうと、パラスは話します。脅すだけのつもりだった人間に、殺気なども勿論なく、アルフォンシーナは手薄な方面に向けて、逃亡だけを考えて駆け出してしまって。
当然、当初はこれがメリディアンの仕業ではないかとする声もありました。けれど、王家からメリディアンに付いていた護衛の証言や、この刺した犯人が罪悪感に耐えられず自首してきたこと、黒幕であった令嬢への調査などから、これがメリディアンの仕業などではなく、意図せず起きてしまった、ある種の事故であったことまでが判明しています。
「ーーけれど、王家の儀礼によって死者が出た、などとすることは、王家の威信にも関わるとして、この件は表沙汰にすることなく、隠密裏に処理されました。そして、最後の儀礼の戦いでは、拝覧者がいなかったことをいいことに、勝者はメリディアンであったとして、現在の王妃様がその地位へと収まることになった、、」
それが、あなたが今日ここに来た理由ですよね、とフローラは、ユリアナへと問いかけます。
だから、ユリアナにとってこの儀礼は、パラスの妻へと収まることが本当の目的なのではなく、実際には、儀礼を制したのが、メルクシアであるという名誉を取り戻すことが目的なのでしょう、と。
ユリアナは、細く深く息をつくと、全てを暴露されたことで、いっそ晴れやかな顔になって、ええ、とその指摘の全てを首肯します。ただし、と一つ大事な事実が忘れられていることに、耐えがたい憤りを抱えたまま。
「そう、、だから、私は勝つ、、貴女だけでなく!」
ユリアナは、フローラへと再び氷槍の嵐を叩きつけ、同時に、その目線を、暴露されていく過去を静かに受け止め続ける、王妃へも向けます。ーー本当に今ここで撃たなければならない人物へ。
「姉の死を隠蔽し、そこでのうのうと王妃に収まっている、貴女にこそ!! もう一度っ!!」
ユリアナは、フローラの足止めをしている隙に、その持ちうる全力の魔力を、突如王妃へと向け、
「ちょっ、うっそでしょ、、!? 冗談はやめなさいよユリアナっ!!」
その、王妃の後ろには、パラスとエリザベータも控えています。エリザベータは大慌てでパラスと王妃の前に出ると、対冷の結界を発動させ、けれど、そのあまりの心許なさに、強く舌打ちをします。
メルクシア秘伝の杖を用いて、全力全開の氷雪魔術を撃ち込もうとしているユリアナに対して、簡易的な杖の一本もなく、素手で張らなければならないエリザベータの結界では、紙で艦砲射撃を防ぐような意味しかありません。一秒でも防げたらいい方です。
「パラス殿下は王妃を連れてここから離れて!! 早く!!」
エリザベータは、必死の思いで後ろに向けてそう叫ぶと、役に立たない結界を放棄して、炎術、風術、土術と、様々な属性を駆使して、ユリアナに先制攻撃を仕掛けます。あれだけ大規模な術を撃とうとしているなら、もはや発動前に叩く以外手はありません。
「やめなさい、ユリアナ! 王妃様を害するおつもりですか!!」
「正気に戻りなさいよ、ユリアナ、、!!」
けれど、ユリアナは氷の嵐を掻い潜り、自身に接近しようとしているフローラ、迎撃に切り替えたエリザベータ双方に、氷の大嵐を起こすことでどちらの攻撃も弾き飛ばし、
「今、姉の下に送ってあげます、、王妃メリディアン!!」
ユリアナは、氷山を思わせるような、数十メートルにも及ぶ特大の氷の塊を王妃に向けて放ち、ーーもはや止めるものも、遮る壁すらもなく、
ドザァア、という、地下神殿を揺るがすような轟音と、凄まじい振動が空気を震わせます。王妃は勿論、後方に控えていたエリザベータや、パラスが逃げる隙間すら与えることはしませんでした。
「あなたが、どんなに国民から国母と慕われ、善なる王妃と呼ばれたところで、、姉の死という事実、そこにあなたが、後から平気な顔で居座っているという事実を忘れることなど、できないのですよ、、!」
さしものユリアナも、大きく息を切らしてその巨大な氷塊が激突した後を眺めやり、フローラは、その数十メートルに及ぶ巨大な氷塊の奥に、どうにか三人の、パラスの無事の姿を見られないかと、必死の思いで目を凝らします。
ーーユリアナが何より許せなかったのは、姉であるアルフォンシーナの名誉以上に、、現王妃メリディアンを守るために、姉の死を隠蔽されたこと。事実を公表し、弔うことすら許されなかったという、王家の対応に他なりませんでした。
アルフォンシーナが亡くなった事件の後、事故を起こした令嬢の家は取り潰しになり、その家にあった財産は全てメルクシアへと接収されました。それが、儀礼の責務を負う王家としての、事情を表沙汰にせずにできる、最大の範囲での補償だったからです。
けれど、表沙汰にできなかった、弔うことすらできなかった、という事実は、姉を喪ったユリアナにとって、どうあっても許せるものではありませんでした。そして、それを承知で、黙って国母へと収まっている王妃のことも。
「これで、メルクシアは逆賊ですね、、でも良いのです。これで、姉の死の真相を、世に広めることができる、、」
「ーーそう。その気持ちは、私は害した側の人間だから、理解はできないけれど」
「!?」
パラパラと、今も砕け飛び散った石段の欠片が転がり落ちていく、後方ーーユリアナは、信じられない気持ちで、氷山が激突した位置の数メートル左、黒一色のドレスを纏った令嬢の姿があることを見て取ります。そのすぐ近くで、驚きの表情で彼女を見上げて固まるパラス、どこまでも落ち着いた様子の王妃、半分腰を抜かしてへたり込む、エリザベータの姿も一緒に。
「そんな、、外した、、!?」
「出遅れた私としては、アルトナの機転には感謝しないといけないわね。あの子の危機感知能力は、正直ずば抜けていると思うから」
「アルトナ、、?」
何故ここでアルトナの名前が出てくるのかわからず、ユリアナは不思議そうにその名を繰り返します。
ーーそれは、ユリアナにとっては、最初にこなすべき課題ともいうべきもので。
「最初の一次審査の課題で、私が転移する直前にアルトナの前に現れたのは貴女よね、ユリアナ?」
その、闇魔術の象徴たる、黒のドレスを纏った令嬢、コエリは石段をゆっくりと降りながら、盤上で立つユリアナへと語りかけます。半信半疑だった気持ちから、まさに今、全ての真実を理解し、受け入れて。
コエリは、つい先程聞いた事情を、一段一段と、階段を降りながら、話し続けます。
「その理由は、まさにアルトナの危機感知能力が、貴女の今回の計画にとって大きな脅威になると感じたから。だから、一人になるタイミングを見計らって、先にリタイアさせた、、多少力ずくでも」
コエリは石段の途中で、ユリアナの胸元へと指を差します。
そこには、淡い紅蓮に輝く光の華が、今も脈打つように胎動していて。
戦いの最中、普通であれば、自分の胸元など意識することはありません。だから、ユリアナ自身気付いてはいなかったのでしょう。その優しく暖かな光に。
ユリアナは、その夕陽を思わせるような華へ、驚きの目を向けて呟きます。
「これは、、?」
「それ、法術の一種みたいね。効果は、発動する魔術の撹乱」
アルトナが、実際に何を予感してそれを仕掛けたのかは、コエリにもわかりません。ユリアナの術の大半は氷の槍の嵐など、個々の命中よりは手数で押すタイプの術ですから、撹乱系の術を埋め込んだところで、大きな効力は発揮しないのです。
ただ、それがあったからこそ、叩き込まれた氷山の塊は三人を中心に捉えることはなく、コエリが間一髪で三人を抱えて、最短距離を見極めて助け出すことを可能にしました。もしこの撹乱がなく、どの方角にも等間隔の逃げ道しかなければ、コエリの速度をもってしても、誰か一人は確実に犠牲になっていたことでしょう。
その理由はどうあれ、一次審査の小部屋で、アルトナはユリアナが自分達に迫っていることを感知し、これを埋め込むために、どうせ自分は敗退する気だからと、あえてコエリを先に行かせ、現れたユリアナの相手をしたわけです。
「二次審査でも、貴女は厄介になる令嬢たちを先に落とすため、先んじてパラス殿下への愛を語った、、それが合否の鍵になると知っていたから。あなたがそれだけ事前に身動きできたのは、貴女のお姉様から昔聞かされていたからよね? どの課題でどんな答えが鍵になるのかを」
聞けば、メルクシアの姉妹は、仲が良いことで世間でも有名だったそうです。魔術に長けたユリアナとアルフォンシーナは、事件の当日、課題をこなしている最中も、姉が刺された後でさえも、レターでのやり取りがあったのだと聞いています。そのためユリアナは、姉の最期の詳細までも知る位置にあったのだと。
「あの日、あなたはレターの返信が返ってこなくなったことで、姉の最期に何があったのかを知ることになった、、10年前ならあなたは7才、その心の痛みは、わからないでもないわ」
私も、同じようなことをしているから、、その死で嘆く人を見ていたから、とコエリはユリアナへ語りかけると、最後の石段を降り、競技場の手前で立ち止まって、自分の影から漆黒の剣を取り出します。けれど、それでもその凶行を許すわけにはいかないのよ、と。
ユリアナは、不気味なものでも見るようにコエリを睨み付け、なんなの、と呻きます。
「フローラもあなたも、人の過去を見てきたように、、あなたに何がわかるというの!?」
「わかっているのは私ではなく、あの子よ」
コエリは、この地下神殿の入り口、ショートパンツに半袖のシャツという、場違いなほどラフな格好で、心配そうに自分達を見つめる女の子、莉々須を指差します。防寒着もない薄手そのものの格好で、自分で対冷結界を張って、外気温の厳しさを防ぐ、どこか冷めた眼差しの少女を。
コエリが、最初にユリアナに異常を感じたのは、二次審査の前、ユリアナが最後に三階から現れた時のことでした。
バルコニーのユリアナは、まだギリギリ平常を保っていたようですが、、あの後、一次審査を抜けて小部屋から現れたユリアナの心には、明らかな負の感情が宿っていて。心の闇を感知できるコエリには、それが見えてしまって、、けれど最初、それが何を意味するのかはわかりませんでした。怒りや憎しみ、後悔や恨みの感情など、婚約者を決めるという、晴れの舞台に抱くにしては、あまりにそぐわないものだったから。
けれど、公爵邸裏のレグルスに、ユリアナの抱く心の闇を指摘され、あいつは何か仕掛けるぞ、ベガもアルトナも眠らされているぞと、注意を促されて、ようやくそれが見間違いでも勘違いでもなく、真実警戒すべき相手であると理解することができました。
ただ、理由までは、どうしてもわからなくてーー誰も、口を割ろうともしなくて。だから、ロミルダの相手を終えた後、その全てを知っているであろう莉々須を呼んで、事情の確認をしていたのです。
「未来予知の聖女、、彼女は、だから、あなたがこの後辿ってしまう運命も知っているわ。それを止められるのが、私たちしかいないことも」
「ユリアナ様、悲劇は三度も起こすものではありません。ーーご覚悟を」
前からコエリ、背後からフローラが剣を構え、ユリアナに迫ります。けれど、コエリは盤上に上ることはなく、一定以上にユリアナに近づこうともしませんでした。何故なら、まだこの場において、審判を務めるディセンダント公からの、制止も声も決着の声もまだ聞いていなかったから。
だから、こんな事態があっても、まだ儀礼の途中経過にすぎないのだと。そう理解して、コエリはあくまでも、王妃を凶刃から護る盾として、いつでもユリアナの氷を迎撃できるよう降りてきたにすぎません。再び王妃へと手を出すなら、最悪、ユリアナを自分の手にかけることも覚悟して。
ユリアナは、前後から対峙する二人を睨み付けると、ゆっくりと杖を掲げ、再び杖へと魔力を込め始めます。
「あなたたちに、、姉を亡くした私の気持ちはわからない、、! 誰にも!! コエリ、あなたであってもよ!! はあああっ!!」
先程の氷塊を産み出したことで、さしものユリアナも魔力量に限界が見え、疲労の色も濃くなっています。けれど、ユリアナは最後とも言える力を振り絞って、再び氷で大嵐を起こし、前方のコエリ、後方のフローラの双方に氷の礫を撃ち込みます。
フローラは大きく迂回してそれをかわし、コエリは、
「!?」
ごうっ、とコエリの全身が、一瞬にして黒炎に包み込まれ、その身を覆い尽くします。何を思ったのか、コエリは自分自身へと黒炎を撃ち込んだのです。
「自爆!? ちょっ、コエリ、、!」
「違うわ。闇の炎で私は傷付かない」
慌てるエリザベータに、人間大に膨れ上がった黒炎の奥から返事が届きます。確かに、一度はコエリを覆い尽くした炎ですが、揺らめく黒炎の中には、相変わらず黒のドレスを纏ったまま、平然としているコエリの姿が見えています。むしろ、黒のドレスが黒炎を外に纏って、強化されたようですらあります。
ユリアナの放つ氷の礫は、もはや自らが炎と化したコエリには、一欠片も到達することなく、全て蒸発して消えてしまって、冷気すら届きません。こちらはもはや、今の自らの力では対応不能として、コエリの相手を諦めたユリアナは、せめてフローラにだけには負けまいと、道連れにしてでも戦い抜こうと、後ろを振り返り、
ーーゾッとするような、背筋を走る悪寒に、コエリに近付くことを承知で、思わず一歩後ろへと下がります。
剣を構えたフローラは、先程までのフローラと、そう大きく変わった部分があるようには見えません。けれど、何かがーー伝わってくる、何かが違うのです。
フローラは、慎重に間合いを測りながら、ユリアナ様、と静かな声で呼び掛けます。
「ユリアナ様、、あなたの間違いを一つだけ教えて差し上げます」
「、、間違い? 復讐なんてやめろとでも?」
「いいえ。それはーー、私怨に他人を巻き込もうとしたことです。それも、他ならぬ、パラス殿下を」
フローラは7メートルほどの距離で一度止まり、そこに、静かな感情を込めます。
それは、パラスを狙われたことへの怒りや焦り、無事だったことで感じた愛情や安堵といった、全てをない交ぜにした、、この子を止めなければ、という、使命感のような心で。
なにより、とフローラは、その背後で黒炎を纏うコエリへと目を向けます。この人が、ここにいてくれるから、自分も心置きなく力を放てるのだという、絶対の信頼で。
「復讐なら、私だけになさい。私こそがあなたの悲願を潰えさせた、張本人になるのだからーー」
フローラは、そっと語りかけ、流れるように上体を前方に傾けます。
その、決着へと。