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ホロスコ星物語170

ミリアムに付いて、二人が着いたのは、恐らくは村で一番の比較的新しい家で、まだ色褪せていない側面の木材の様子などから、それはまだ築年数にして、10年前後といった印象を受けました。

木枠の窓から見える家の中では、やはりミリアムと同様、薪の火によく映える赤い髪を持った、落ち着いた雰囲気の妙齢の婦人が俯いていて、視線と手の動きから察するに、どうも何かを煮込んでいるようです。外をひっきりなしに確認していて、ミリアムの帰りを待って、心配している、というよりは、視線はもっと先、だんだんと沈んでいく陽の光、だんだんと色濃くなっていく、夜の闇へと怯えているような印象がありました。

ミリアムは、玄関の前で二人を待っていて、二人が家の前まで来ると、玄関を開ける前に、これは気を付けてほしいんだけど、、と、指先を口に当て、先に腫れ物でも扱うように声を潜めます。

「あの、赤い髪の女の人がヘレナお母さん、昔のトラウマで、刃物を見ると急に取り乱しちゃうから、、」

ミリアムは、申し訳なさそうにチラチラとコエリを見上げていて、コエリは、その意を汲んで、大丈夫よ、と笑顔で頷きます。

「大丈夫、ここでは剣を取り出すのはご法度ね。心配しないで」
「良かった」

ありがとうお姉ちゃん、とミリアムはコエリへ、花開くような笑顔を向け、軽く抱きついてコエリへ頬を押し付けます。そして、鍵開けるね、と言ってミリアムが離れてから、ベスタは、コエリへそっと顔を近づけて、揶揄するように話しかけます。

「もうすっかり仲良しですね? 良いお姉ちゃんをやっているようで」
「あら、私は元々良いお姉ちゃんよ?」

妹にはデレデレの溺愛姉だもの、とコエリは胸を張って笑い、ベスタも、そのリアル妹への溺愛っぷりを思い出して、確かに、と吹き出してしまいます。

コエリの妹、スピカへの溺愛っぷりは親しい人間の中ではかなり有名で、確かジュノー王子とのデートの帰り、学院の前で高等部の男子に囲まれていた妹を助けるため、乗っていた走行中の馬車を破壊する勢いで飛び出し、一瞬で制圧して助けたことがあったはずです。

「当時の王子は、これでは婚約者としての立場がない、とよく嘆いていたと言いますが」
「ふふっ、私は元々王子の婚約者ではないから。婚約者は小恵理、あの子には、、幸せになってもらいたいから」

コエリは、今も胸元で変わらず虹色に光る魔石をそっと指先で撫でて、不意に儚げな笑顔を浮かべ、小さな声でそう語ります。

それは、自分がまたもうじき小恵理の中へと戻って、再びこの世界からは断絶されるのだ、という避けがたい未来の到来を承知していて、だからこそ、今というこの時、この瞬間を惜しんでいるようにも見えてしまって。ベスタは一瞬、胸の詰まるような衝動が自分の中で生まれるのを感じ、

「あなたは、どうしてそうやって、、」
「え? 何?」
「いえ、あなたは、、本当に、変わりました」

ベスタは、無意識に拳を固めて、一度発しかけた言葉をギリギリで自制し、飲み込んで、コエリから目を反らし、昔を思い出すように、昔の、過去のコエリを懐かしむように告げます。以前と同じままであってくれたなら、自分もこんな、胸のざわめきを感じずに済んだのに、という思いを、心のどこかに抱えながら。

コエリは、自分ではよくわかっていない様子で、キョトンとした顔をベスタへと向け、そうかしら? と首を捻ります。

「私には、自覚はないけれど。今も昔も、私は普通に無愛想だし、傍若無人よ?」
「それを否定する気はありません。ただ、僕に言わせると、そういう発言が普通に出てくる時点で、あなたは変わってしまったのですよ」

思えば、村を訪れたばかりの時に発した自虐やミリアムへの気遣い、冒険者三人組との事務的でも強圧的でもない、ただの個人としてのやりとりなど、今まで見てこなかったコエリの姿は、ベスタも何度か目にしてきました。けれどそれは、いわば一時の気の迷い、たまたまそういう気分だったのだろうと、コエリ自身が変わったわけではないと思おうとしていたのです。

なのに、今そんな最後とばかりに、儚い、消え入りそうな姿を見せられてしまうのは、、ずるいと、反則だという思いも、確かにあって。例えそれが、自分だけの身勝手な思いにすぎないとしても。

コエリは、さらさらと黒髪を流してゆっくりと顔を傾け、ベスタへと、全てを受け入れる慈母のような柔らかな笑みを浮かべて、あなたは、と口ずさみます。

「私の変化を、良いものだと思う? それとも今の私は、ミディアム・コエリという存在の価値を減損し、失わせてしまっているかしら?」
「それこそわかりきったことを、、あなたはあなたですよ。最初から、些細な変化などでその価値を変えるような人ではありません。こんなのは、、僕の戯言です」

これ以上心を乱される前にと、ベスタは即答し、どうぞ聞き流してください、と顔を背け、ぶっきらぼうに告げます。そして、その顔を反らした先でいまだに鍵穴に苦戦するミリアムに気付いて、手を貸してあげ、家の錠前を外します。

それを横開きに開けようとして、田舎の民家の扉に似つかわしくない、重厚な金属の重みを感じて瞠目をします。よく見れば扉は木製ではなく、合金か何かで作られていて、砦の扉でも持ってきたような不均衡な重量を感じます。

「これは、、鍵もそうでしたが、ずいぶん頑丈な扉ですね? 子供には少し重いと思いますが、何か理由が?」
「あっ、うん、お母さんが、、心配だからって」

なるほど、と表情を翳らせたミリアムの言葉にベスタは頷いて、その事情を推察します。おそらくはあの、廃墟となった村が魔物に襲われたという、当時の悪夢が、今もまだ変わらずヘレナを苛んでいること、、この扉は、少しでもその恐怖を和らげるための、心の防波堤でもあることを。

ミリアムは、わずかに開いた隙間から半ば強引に身体を押し入れるようにして戸を開け、家の中へ入ると、お母さん、お客様だよっ、と叫んで、母の背中へと飛び付きます。そうして甘えるミリアムを微笑ましく見つめつつ、コエリは、入りましょう、とその母子に注目するベスタへ話しかけます。そして、耳打ちするようにして、私はね、と口にします。

「私に変わったという自覚はないけれど、もし変わったというなら、それはたぶん良いことなのだと思うの。今までが、変化を拒んで、頑なであっただけ。何があっても心が揺れ動くことがないよう、冷たく凍りつかせていただけだから」

自分の本質を眠らせて、ただ現実を怖がっていただけだからーーそう、幼少期の事故を思い、それを振り払うように、見送るように首を振って、コエリは笑顔で、でも、と付け加えます。

「でももう私は、過去にも、小恵理にも、囚われる気はないから」

それに、とコエリは続けて、自分にはそれらが、とても大切なことのように思うのだと話します。こんな風に、ミリアムを助けること、嫌われることを恐れ、動揺して、けれど諦めず、前向きに努力して、より良い未来を勝ち得ていくこと、、それは、今の自分でなければできないことだったと思うからと。

少なくとも、この世界で久方ぶりに目覚めた、王都北の山、、コエリにとって最初期の自分は、自分こそが悪であると自認し、畏怖と恐怖、憎悪の中でしか生きることを望まなかったから、何に対しても容赦なく、ただ、あらゆるものから恐れられるためだけに力を振るっていました。

その後、小恵理の遺志を継ぎ、小恵理が長期に渡り眠ってしまった後だって、自分は、ただの小恵理の代役、用が済めば消えてしまう、代わりを埋めるだけの存在なのだとしか思わなくて。彼女が再び目覚めるまでの、いわば時間潰しに付き合っていただけ、、決して、自分から世界と向き合い、付き合っていこうなどとは考えていませんでした。

そして、あの異空間では、奇しくもデネブと、自分の過去と向き合うことになってしまい、、結果として、戦いの上ではシリウスには敗北してしまったけれど、あれで、初めてコエリは自分の中で、自分のことを、認めていく気持ちが芽生えたと思っています。

「こんな変化は、私が私として生まれた意味を試行錯誤している証。だから、これからも見守ってくれると嬉しいわ」

コエリは、よろしくね、と晴れやかな笑顔でそれだけ言って、ミリアムに続いて、お邪魔します、と会釈をし、室内へ入る前に、礼儀正しく挨拶とヘレナへの自己紹介をしていきます。そこには、ヘレナを怖がらせない、不安にさせまいというしっかりした配慮が感じられて、ベスタは、ますます渋い顔になります。

一緒にいるのが小恵理であれば、そういった配慮、フォローは自分の役割で、ただ彼女をいかに支えていくかを考えていればいいだけでした。それが、今のコエリには全く必要のないものなのだという現実を見せつけられているようで、なら今、彼女と一緒にいる僕の役割は何なのでしょうね、と自問してしまいます。

コエリを守るような存在が必要になるとも思えず、かといって、今更離脱し、王都に帰るのは論外で、まして、小恵理が復帰する際には、自分の力は確実に必要とされるはずで。

なら、、ただの友人? まさか、とベスタは自嘲するように笑います。それも、一瞬だけーー、そのコエリの隣にいる自分を想像してしまって。

「悪趣味ですよ、ベスタ・フォン・ベーテルハウト、、お前の役割は、そんなことではない」

わかっているだろう、とベスタは大きく首を振り、自分自身へと言い聞かせ、戒めるように、低い声で語りかけます。自分が本当に一緒にいたいと、隣にいたいと思った相手は誰だったのかを、思い出せ、と。あれは、、姿形が似ているだけの、別人だ、と。

ひとまずは、いつまでも玄関先で立っているのも間抜けです。ベスタはコエリが挨拶を終えると、自分もコエリと同様、丁重に挨拶をして、まずは室内全体を怪しまれない程度に素早く目を通しーー

まず第一に印象的だったのは、同じような木造の簡素な家ながら、村長宅と見比べてもわかる、圧倒的な私物の少なさで。テーブルや椅子など、必要最低限の家財道具は置かれているものの、侘しくさえ感じられてしまうほど、本当に最低限で。村長の話がそのままであれば、この母子はあの廃墟からここまで命からがら逃げ延びてきたはずで、どこか当時の逃亡生活の名残があるようにも感じられます。

それから、本当に刃物はないようですね、と包丁や果物ナイフといった類の、一般的な家庭には当たり前にあるような刃物さえないことも確認します。調理器具自体は、家へ上がる前、外にまな板と、少し隠された位置にそれら刃物の調理器具が収まりそうな箱が置かれていましたから、おそらくはそちらに納められているのでしょう。

それから、特徴的なのはやはり、ミリアムとのーー

「ベスタ、夕食は私とお母様で作ることになったから」
「、、コエリが作る気ですか?」

エプロンと三角巾を付け、唐突に奥から姿を表したコエリに、ベスタは思わず苦笑いで返します。今は旅先ということもあって、身分証となりそうな刺繍などは全て隠していますが、これでもコエリは筆頭公爵令嬢、貴族令嬢の中の貴族令嬢なのです。

なんでそんなコエリが料理を、と苦笑いで見つめるベスタに、コエリは、楽しみにしていなさい、と自信ありげに頷いて、奥の厨房へと帰っていきます。それから、入れ違いにミリアムもまた、自分の役割とばかりに、ちょっとこの辺の野菜切ってくるね、と靴を突っ掛け、追加で食材を持って外へと出ていってしまいます。

一人残されたベスタは、ただ居間で待っているのも忍びなくて、とりあえず割り当てられた部屋へと収納袋を置きに行き、予備のベッドらしきものを組み立て、先に寝具の準備をしてしまいます。男児厨房に入るべからず、ではありませんが、宰相子息という立場上、ベスタもまた、料理など経験がなかったので、今ここでできることといったら、それくらいしかなかったのです。

そして、自分で用意したベッドに腰掛けながら、そういえば道中の調理は、全部小恵理が担当してくれていたのでしたね、とベスタは、あの気さくで気ままな、どこか発想の飛び抜けた少女を思い出します。その発想力の賜物ゆえか、小恵理の作る、『苦学生の格安メシ』なる料理はどれも食べたことのない味付けのものばかりで、栄養価が第一で、料理の内容にはあまり頓着しないベスタですら、この何日かは、それなりに楽しい食生活だったと思います。

彼女は、今は、あの魔石となって、コエリの中で眠ってしまっているわけですが、、小恵理は、これからどうするんでしょうね、と漠然と彼女との未来を思います。あの時、畦道でコエリが冒険者の相手をしていたとき、ずっと考えていたのも、その事についてでした。

実際に足を運んでみて、思った以上に広く感じたベツレヘム領も、今は大分北上し、ほぼ北端に近いくらいまで移動してきています。この北には平原が広がっていて、あと残す町はイェニーという中規模の都市一つのみ。そこから北は、リーガルの山地が広がっていて、ここからが、いわゆる前人未到の土地になっていきます。

その、リーガルの山地を東に抜けると、龍尾砂漠が広がり、その先には龍頭山脈という、セットのような名称の難所が続き、このいずれもが第一等危険地帯、旅慣れた冒険者すらほとんど近付かない魔境の地に入っていきます。そもそも、生身ではこの手前のリーガルの山地すら抜けるのは不可能と言われているのに、です。

勿論、それを聞いたところで、あの小恵理が恐れて引き返す、などということはないでしょう。やると決めたらとことんやるのが小恵理という女性です。まして、あれだけの能力があれば、おそらく、第一等危険地帯だろうが前人未到の土地だろうが、どんな難所も鼻唄混じりで突破してしまうはずです。それだけの万能さが、小恵理にはあるのです。

けれど、、同時にベスタは、これがコエリだったら、、いうことも一緒に考えてしまいます。その道中、険しい難所も、最終的に抜けることはできるでしょうが、、小恵理といる時と比べて、どう変わるのだろうかと。

、、おそらくは、道中自体は小恵理より、明らかに険しいものになるに違いありません。勿論、小恵理の万能さが優れているという点を差し引いても、コエリが能力で小恵理に劣るとは思いません。それどころか、純粋に一対一で勝負をした場合、シリウスのような変則球でもなければ、下手をすれば魔王でさえ戦いにおいてその勝利は危ういとも思います。

けれど、それでもコエリとの道中の方が厳しくなってしまうのは、闇魔術という、単一属性の魔術が原因では、勿論なくて。

「優しさは、過ぎれば諸刃の刃になって返ってくるんですよ、コエリ、、」

村人のために、デネブのために無償で力を奮って魔物の巣を叩き、あれほどまでに自分を忌避していたミリアムを助けるため、あれこれ気を使い、冒険者を退け、、心配だからと、家まで付いて、料理まで手伝って。結局仲は回復し、それでいて、自分が再び世界と断絶されることは、抵抗もせずに受け入れていて。

聖女より聖女らしくしてどうするんですか、闇の魔女を自称するあなたが、、と。ベスタは誰ともなしに呟き、やがて、部屋の扉がトントン、と叩かれます。

「起きてる、ベスタ? できたわ」
「、、小恵理との入れ替わりを容認するかどうかは、これにかかっていますね」
「え? 何? よく聞こえないわ」

起きているなら来てちょうだい、と。その言葉を最後に、コエリの気配は遠ざかっていきます。
、、勿論、部屋の前まで近付かれていたことに全く気付いていなかった、とは、本人には口が避けても言えませんが。

本当、戦闘能力だけの人であってくれれば良かったんですけどね、、と。ベスタは再び自嘲するように呟いて、扉を開き、魚介や野菜の旨味が芳醇に漂う、階下へと降りていきました。

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