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【大人の自分探し】親が喜ぶことが正解じゃないと知って~前編


万智 まちはレンタル彼女のキャストになる前は、『地元の短大を卒業して、都内の有力企業に就職』という、両親が望んだ人生を歩んできました。

万智 まちには一つ年上の兄がいました。

両親は子供の頃から出来のいい兄を可愛がり、不器用で兄ほど成績の良くない万智のことには、あまり関心がなかったようでした。

万智の兄は都内の有名大学に進学を予定していましたが、希望の大学に合格することができず、浪人生活を送っていました。

一般的なサラリーマン家庭の子である万智は、そんな状況で「大学に行きたい」と言うことはできず、空気を読んで家の近くの短大への進学を希望しました。

万智の希望進路が大学ではなく短大と聞いて、両親はホッとしたようでした。

幼い頃から将来なりたい職業や夢があったわけではありません。

年頃の女の子が誰しも憧れるように、万智も『アイドル』や『芸能人』を夢見たことがありましたが、「アイドルになりたい」と口にして、両親から怒られたことを引きずっていました。

今の年齢になるまでアイドルになりたいと思っていたわけではありませんが、夢みたいなことを考えたり、うかつなことを口にしてはいけないんだと思ったら、自分が何をしたいかよりも、どういう選択をしたら両親が喜ぶのかと考えるようになっていきました。

それは進路だけではなく、服を買う時も、何が食べたいかと聞かれた時も、バイトをする時も、『親が喜びそう』というのを基準に決めていました。

やがてその相手が親から友人、先輩、先生、上司へと範囲が広がって行く頃には、万智は自分の意見など持たない、長いものに巻かれるような意志の弱い人になっていました。

そう、あの時までは――。

≪SEIDE 万智≫

その時、万智は上司の「お茶!」という声に反応して、すぐに席を立った。

短大を卒業した万智は、両親の希望通り東京の有名企業に一般職で就職ができた。

入社して2年目。万智のすぐ下にA子という後輩はいるものの、「それ、私の仕事じゃないんで」と、はじめから他人の雑用はしないというスタンスだった。

万智とて好きでやっているわけではないが、誰かがやらなければいけない空気なのだから仕方がない。自分の仕事を中断して、上司の言いつけ通りに動くのが常だった。

自分の仕事とはいっても、自分しかできないような責任感のある仕事などない。万智が請け負うのは、来客や電話の応対、データ入力、資料作成、受発注作業といった誰でもできるものだ。

不器用な万智なので、入社して数ヶ月はミスをしないよう必死だったが、一度仕事を覚えてしまえばそうそう大きなミスをすることもなく、一年が過ぎた頃には、この単調な仕事はいつまで続くのだろうと疑問に思うようになってきた。

一般職での採用だから、万智に責任の重い仕事が任されることもない。誰にでもできるような作業のような仕事を、このまま続けていくのだろうか。

『いい会社員入って両親を喜ばせたい』としか考えていなかった万智は、自分はどうしたいかなんて考えていなかったのだった。

「どうぞ……」

万智がお茶を差し出すと、上司は無言で受け取って湯呑を口につける。

「ありがとう」と礼をすることも、「うむ」とうなずくこともないのはいつものことなので、万智も特に気にかけず自分の席に戻った。

そして、自分の席に戻る途中、派遣のOLたちが数名で目配せし合うのを見てしまい、万智はこっそりため息をついた。

おそらく「お茶」と言われてすぐにお茶を入れに行く万智のことを|蔑≪さげす≫んでいるのだろう。先日も万智が誰にでもいい顔をするという悪口を、偶然立ち聞きしてしまったところだった。

誰にでもいい顔をしているわけではない。相手に喜んでもらいたくてしているのだ。しかし、その万智の好意も空回りしているようだった。

『喜んでもらいたい……かぁ。そんなこと、本当に思っているのだろうか、私は』

ふと、自分で自分を疑う気持ちが沸き上がる。

本当に好意があったら、お茶を入れたことに対する反応がなくてもなんとも思わないだろう。それが少し引っ掛かりを覚えるというのは、見返りを期待しているからではないだろうか。

思えば、万智が相手の顔色をうかがうようになったのは、両親の関心を引きたい気持ちが強かったからだ。

親がして欲しいと思っていることを先に読んで、その通りに行動すれば喜んでくれる。「いい子」だと言ってくれる。「気が利く子」だと褒めてくれる。可愛がってくれる。

それが万智には何よりの見返りだった。

友人にしてもそうだった。相手が望んでいることを言ったりやったりしてあげれば仲良くしてくれた。万智が一番だと言ってくれた。

そういえば、高校時代に少しつき合った彼氏もそうだった。彼の理想とする彼女を演じていたら、万智が一番だと言ってくれた。

けれども、万智が一番だと言った友人も彼氏も、他に仲の良い相手を見つけて去って行ってしまった。

それでも、万智が一番だと言ってくれたのだからまだいい。心変わりはあるものだ。

ところが、今の状況はどうだろう。

仕事がやり易いよう、職場の空気が悪くならないよう、万智なりに創意工夫をしているつもりだが、それに対する評価も見返りも感謝もない。

それどころか、人の顔色をうかがうばかりの万智は、他人の関心を惹くたびに陰で「媚びている」と言われて、日に日に居心地が悪くなっている気がする。

「何もしていない人が、コソコソ言う権利なんてないですよ」

と、嫌な空気を破るように言ったのは、後輩のA子だった。

「えっ?」

思わず万智は声を上げてしまう。

A子はヒソヒソ話をしていた派遣OLをやり込めるために言ったのだ。

てっきり、万智のことを軽蔑していると思っていたのに、そういうわけではないようだ。

後輩の助け舟のおかげで、少し胸がすっとした気分だった。

万智は「ありがとう」と小声で言うと、A子はさして気にすることなく「いいえ」と答える。このそっけなさを疎ましく思っていたというのに、今はなぜか清々しい。

本当だったら、A子のようにお茶入れなんて自分の仕事じゃないと本音を言えたらどんなに良かっただろう。

けれども、万智が上司に向かってそんなことを言えるわけなどない。そんなことを言って上司の機嫌を損ねることが、万智には一番怖いからだ。

うかつに夢を語って、両親から諫められたことが脳裏に浮かぶ。自分の本音をさらけ出して、相手に受け入れてもらえなかった時がなによりの恐怖だった。

今までとは違う自分になりたい気持ちと、今さら何者にもなれない気持ち、そして今の自分はだめなんだろうかという不安が複雑に交差していた。

その日はひどく落ち着かない気持ちで、仕事も何度かミスをしてしまっていた。

そのもつれた感情の糸を解いたのは、他の誰でもないA子の一言だった。

「先輩って、その特技活かしたらいいのに」

なんの気まぐれなのか、帰り際にエントランスですれ違った時、A子はそう言った。

一瞬何を言われているのか分からなかった万智だが、昼間のお茶の一件だということにすぐ気づく。特技とはなんだろう、お茶を入れることだろうかと考えていると「共感性っていうんですかね。他人が何をしたら喜ぶか考えられるってすごいことですよ」と、A子は続けた。

「えっ、どういう……?」

もっと詳しく知りたいのに、A子はスマホで時間を確認しながら「お疲れ様です」と慌ただしく走って去って行く。よほど急いでいるのか、万智の方を振り返ることなくエントランスを出て行った。

共感性……? 特技……? どういうこと……?

いきなりのことに万智は混乱するが、帰路の電車の中でA子から言われたことをゆっくり反芻してみる。そして、A子に言われた『共感性』という言葉をスマホで調べてみたら、『相手の感情を自分のことのように感じる気質』と書かれていた。

確かに、相手の喜怒哀楽くらいは一瞬で分かる。もちろん何を考えているかなど細かいことは分からないまでも、相手が悲しんでいたら悲しい気分になったりもする。イライラしていたら自分も気分がふさぎ込む。それが、特技というのだろうか。

この年になるまで、特技などあったことがない。

それなのに、さして親しくもない後輩に特技と認定されて、さらには活かした方がいいとも言われて、心が揺れ動かないわけはなかった。

「特技かぁ……」

自分にも特技があると分かって、なんだか少しくすぐったいような気分だ。

A子には『共感性』と言われたが、そういった能力が養われたのも、子供の頃に親の顔色をうかがうようなコミュニケーションの取り方を覚えてしまったからに他ない。

万智自身は仕方なく取っていたコミュニケーション方法だったが、肯定されてみると、確かに自分の得意とする形のコミュニケーション方法だと気づく。

消極的に『好きになってもらいたいから相手が望む態度を取る』のではなく、積極的に『相手が望む態度を取って好きになってもらう』のとでは、似ているようで大きく違うようだった。

それなら、私の特技を活かすことができたなら、私の人生も大きく変わってくるのではないかと、想像せずにはいられなかった。

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