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素直になれなかったことも

小学生の頃、道徳の時間という授業があり、何よりもいちばん関心のある授業がそれでした。体育~とか音楽じゃないんだよね。道徳(真顔)

こどもだけど、あの頃は、視点がだいぶ大人だったように感じています。世界を常に斜めから見ながら過ごして、周りの人たちへの反発心もとにかくすごかったなぁー。何にそんなにイライラしていたのか?と思うけど、おそらく彼らを通して自分の心と向き合っていたのだと感じている。

それで、その授業中にも、こどもらしからぬ意見で、よく先生やクラスメイトをぽかーんとさせていたものです(笑)あの洞察力は、こどもの持つものではない気がするけれど、今よりずっと何かをキャッチしていたのかな?というより、とにかくこんな世の中、----だろ、みたいな斜めなこどもでした。

今でも、たまに周囲をぽかーんとさせることがあるけれど、だいぶ大人になったので、適切かどうでないかの使い分けはできるようになったし、何よりこの世を、くそとは(爆)思わなくなったことは自分の大きな変化です。自分の内側が、だいぶ満たされたのだろう。そして、何か足りないと感じる時は、それは何なのかとか、ある程度自分で探せるようになり、自分の喜びが何であるかとつかまえることができたからかも知れません。


素直に、の件。休暇明けで、仕事の戻ったら失念していたことがあり、

”このわたしがーーー”と、どれだけ自意識過剰なのでしょう(笑)と思うけど、ボスも”お前らしくない、どうした?”と言われるほど、わりと細やかに仕事をしているので、このショック。でも、以前ならここからずっとねちねち悩んでいたけれど、間違えた時は、まず謝ろう!がするっとできるようになっていました。執念深く、ねちこのわたし(爆)が、!やっちまいましたーーーーーとばかりに謝罪を。

これが、今まで本当にできなくて、あれこれ自分の中に理由をつけてうまくいかなかったんだよなぁ。てへっ

おかげで、細やかな仕事が増えてしまいました。



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