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いろんな愛がわたしという人を創る

おかんと離れて暮らすようになってから、もう2年が経ちました。どの関係性にも、その人それぞれのものがあるけれど、わたしの主となっている(いた)家族の関係性は、ゆっくりゆっくりその形を変えていき、昨年の父の死去でまた大きく変化して、ある意味ひとつの区切りとなった時間を過ごしました。

怒涛すぎて、過ぎてしまえばどれもいい思い出だったり、経験となるけれど怒涛すぎて所々記憶がない、が正しい。

それでも、この区切りって時代の流れと繋がっているなーと思うことが多々あって、到底乗り越えられないと思っていたことも、こうして過ぎては、自分の力となっているのだから、不思議です。

占星術を先生について学んでいた頃に、その先生から聞いたことの一つに、【自分の名前も、じつは自分で決めてきている】というのがあって、それを聞いた時、えーっと感じながらも、なぜか納得できたというか。これを、身近な人に話すと、皆、きょとんとするので、やはりあまりそう実感がわかないのかも知れないけど、たしかに、自分で決めてきたかもねと感じるのです。というか、自分のすべてにおいてのあれこれは、自分が決めてこの時代に降りてきているという摂理だそうなので、もちろん名も含めてとなるよね。

とはいえ、あの怒涛の日々の頃は、自分の名さえも呪うような(笑)愛などあるものか、という日々も経験しました。それを経て想うことは、この世界で愛を探すことから初め、それを知り、それを受け取り、手渡していくを君はやるんだよ、というのを約束して来てるよねーって。それに気がつくために、いちばん最初に出逢う家族と、それから友人やほんの一瞬かかわる、すれ違うすべての人から、まっすぐ学びなさい、と。

この歳になって、やっとそんなことに気づけています。とてもシンプルに、あぁ、やっとかーってね。

わたしの名は、それを思い出すための印なのだ。

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