いきなり鬼退治をとは思わないだろう
わたしが持つ月冥王星のテーマは、絶対的に自分をコントロールする力を身につける、ということだろうと思う。そして、これに気づけたわたし、えらいっっっっ!って思うのだけど(笑)まず、気づくっていうまでが、長い道のりなのだ。
月=心で、わたしはこの心を常に何かで隠しながら生きている(いた)というのを、生まれた時からずっと持っていて、それが全てのことに関わる重大な問題である(あった)
(いた)(あった)という過去形で話せるのは、いつもの話ですが、占星術との出逢いがとても大きい。正確には、占星術もそれに気づくためのプロセス的なものであり、とにかく気づかせるものがあったから過去の物事として
こうして話すことができる。過去であり、それは今にも続いているし、形を変えながら未来へもいくものだろうけど、この大きな気づきを得たのもこの一年くらいのことのように感じています。
常に、心を隠す癖がついているのだから、自分の本心が何なのか?どこにあるのか、何を求めているのか、いつももやーっとしたものを抱えながらも
表向きは、品行方正な美しく優しい人(爆)を演じることで、周りからの信頼を勝ち得、でもそれって本当なの?と、いつも自分に不信感でいっぱいだったのだから、生き難いに決まっているのだ。自分を隠すことで居場所を得たりすることは、本当につらいこと。誰のことも信用せず、信用しないことで生き長らえるのは、それって生きてないよね?と、本当の心(わたし)はその信号を送りつづけていて、その解読をさせてくれたものが、占星術のホロスコープを詠み解くというものでした。
タイトルの”いきなり~”は、その事象には必ずきっかけがあり(例えば、わたしなら心を隠し生きるきっかけとか)ホロスコープを詠む時、それらを遡っていくことでしか見えてこないもの、というわけである。
鬼退治をするぞ!と、桃太郎が言ったのにも、必ず何かきっかけがあった、というそれだ(どんな例え?)
ホロスコープは、魂の計画書として存在しており、いろんな経験を重ねてきたそのタイミングと配置を照らし合わせて検証してみたり、それを基に、この先どうしていきたいか?とか、また計画を練っていくのです。計画書ではあるけれど、それを持つ人の様々な選択肢でそれは幾重にも広がっていくし(または狭まる)プランに、自分が持ち合わせているものを足し、この為にやってみたいこと、修練したいもの、今までやっていたけどもういいかな・・・という生きるわたしのセンスをここの組み込んで、その計画は厚みを増すのだと思います。
そんなわけで、本日も過去検証と未来予測をしながら、自らの魂は何を望むのか?そんなプランを立てていました。
もう、心を隠しながら生きることはなくなったので、自分の望むことはよーく分かるようになりました。だからすでに、成功しているのだけどね。
多くの人の心に触れられる術を習得する、また輪郭が見えてきたような。
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