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喫茶店愛をぶちまけたくて長話

自粛の毎日で退屈です。

今一番行きたいところでかつ、私を構成するものの中で結構重要な要素の一つ、喫茶店の話をしようと思います。

私が喫茶店好きなのはもろに母の影響です。母は事あるごとに(週4,5回の頻度)近所のチェーンの喫茶店に通う主婦でした。贅沢は好まない人でしたが、喫茶店につぎ込むお金は惜しみませんでした。さらに、まだ小学校低学年のトンチキな娘の私にせっせとコーヒーを買い与え、何年もかけて喫茶店好きな喋り相手に育て上げました。コーヒー自体も大好きで、家では毎日コーヒーを入れてくれました。(機嫌が悪い時は自分で入れろと怒り口調でわざわざ言ってきました。)そしてそれは決まって薄く、ほぼ牛乳。アイスでもホットでも。たぶん何杯飲んでもカフェインを気にしないで済むようにそうしていました。

その後、親元を離れて母との喫茶店の日常を失い、気づけば私の中の喫茶店は贅沢=遠い存在へと変わっていきました。
そうなってふと、母がよく、喫茶店には場所代を払ってるの、と言っていたことを思い出しました。主婦で家にいっぱなしの母にとって、家は寛ぐ場所ではなかった。喫茶店に入ることで日常の気怠い時間に一区切りをつけて気ままに寛ぐその時間が、お金を払ってでも得るべき自分の時間であったのだと思います。喫茶店でコーヒーを囲んで話す母は友達のようで、家で話す時の母とはなんとなく別人だと思っていました。喫茶店の母が好きです。

さて、晴れて京都の貧乏大学生になった私はバイトを始めて自分のために使えるお金を手にしました。どうしようもなく疲れた時、またはなんでもない時、誰かと楽しい時間を過ごしたい時。そんな時、体が向かっていく先は喫茶店でした。まるで古巣に戻るように。喫茶店で過ごす時、一人でも誰かといても、時間の流れが他と違うように感じます。私にとって不思議な場所です。

喫茶店が好きだという話はここまでです。

喫茶店の中でも、私は純喫茶が好きなんです。

私の初純喫茶体験は高2の頃。母が通う例のチェーンの通り沿いに、若かりし叔母が30年程前に働いていたという(後、そこのシェフと駆け落ちした)老舗の純喫茶がありました。棚の食品サンプルはすっかり色褪せてギリギリ何か分かるぐらいの感じで、入り口はステンドグラス。一人で入るには敷居が高く、いつも通学途中に通るだけでした。しかしある日、母と外食しようという話で初めて入ることに。扉を開けた瞬間のタバコの匂いと、紅くて艶かしくて重たそうなソファ。本当にこんな場所が身近にあったんだ、と私はテーマパークにでも来たような思いでした。叔母の頃から制服も変わっておらず、ビーフシテゥーもとっても美味しかった。
申し遅れましたが、私は昭和アイドルやら歌謡曲やら、レトロやら昭和カルチャーが好きで(動画サイトを愛用する現代っ子です)、教科書の中の文豪たちが思考に暮れ、語り交したという"茶店"に憧れがあり、そして(これは少し外れますが)古い建物やお店が愛され、磨かれ続けて今に存在しているということに奇跡とトキメキを感じる、そんな人間でありまして、純喫茶という存在自体が、私の好みにそれはもう、ドンピシャなわけです。
それ以降その純喫茶には行っておりませんが、通りがかりに魅力的な喫茶店を見かける度、あの日の体験が蘇ってきます。

最近はというと、近畿より遠出をした時、モーニングを食べるとかで理由をつけて商店街に寄り道し、純喫茶に行くのが春休みの楽しみでした。

一方で近所となるとほとんど回れていません。京都は純喫茶の宝庫ですが、いつでも行けるとなると、今じゃなくてもいいや、とかえって足が遠のいていってしまっている自分がいます。これではもったいない!そして、もしかしておんなじような人がいるのではないか…?と思い、京大純喫茶同好会なるものを設立することにしました。
(宣伝です)もし、この中に喫茶店好きの方がいらっしゃったら、オープンチャットが本体なのでぜひ気軽に参加して頂ければと思います。↓

ちなみに、一番いきたい純喫茶は梅田のなんとか横丁の近くのマックの隣、一度扉を開いたものの、煙が濃すぎて断念したあのお店です。世がマシになったらはやく行きたいです。

長々と読んで頂きありがとうございました。(T . T)良い喫茶店ライフを。

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