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通信講座で芸人になりました Vol.3

通信講座編、まだ続いています。
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●え、こいつらおもしろいぞ

ここまで書いた通り、僕たちは大学でネタのビデオを送って、そのダメ出しは自宅のパソコンで見るだけ。あとはメールで大喜利の宿題とか、3分の漫才台本を送れとか、テストとかがあったくらいでした。
宿題を面倒臭がった相方は全部僕にやらせてました。当時は相方が普段全部ネタを考えていて僕は一切ネタ書いてないのに。(やっぱりあいつはモグリです)

↑当時の宿題メールの一部

というわけで、他の受講生と関わる機会は一切無かったのです。
大阪NSC1期生のダウンタウンさん、東京1期生の品川庄司さんなど、とかく1期生というのは必ずと言っていいほどスターが輩出される。
その後の商品としての教育コンテンツを軌道に載せるため、通信講座1期生も会社が猛プッシュしてくれるに違いない。
そんな淡く、ずる賢い考えをしていた僕でしたが、肝心の同期が何人いるかも知らないし、会ったことすらない。
唯一同期だと認識できるのは、ネタのビデオを送って、授業内で採用されている他の人たちだけでした。

その中でもとりわけ目立っていたのが「人生百年」というコンビでした。
頭がハゲているボケに対し、バチバチと頭を引っ叩きながら、強烈な九州言葉でツッコミをいれていくストロングな漫才。
これがめちゃくちゃ面白い。
講師の先生方も大絶賛。
それもそのはず、その当時のM-1(確か2004か2005)でアマチュアながら3回戦まで進出しているコンビでした。
ボロカスに言われる僕たちと、大絶賛を受ける人生百年。
初めて同期に対して悔しいと思えた瞬間でしたが、結局人生百年は吉本へは入らず、僕らも一度も出会うことなく今に至ります。
まだ漫才やってるのかなぁ。
多分歳上だけど、同期のよしみでこんな喋り方でもいいよね。
本当に面白かったんだよなぁ。

●初めてのリアルネタ見せ

ちょうどM-1の1回戦でひと笑いも取れずに惨敗したタイミングでした。

↑2005年M-1エントリーの写真。

2005年5月から、画面越しの芸人修行を続けていた僕らにスタッフさんから1通のメールが10月末に届きます。
11月末に都内のスタジオにて公開オーディションを行います。
事前にNSCで実際に授業をしている先生が直接ネタを見てくれます。
希望者は西大井のNSCまで来てください。

↑当時の注意書きメール。持参物の最後に注目。

現在東京のNSCは神保町にありますが、当時のNSCは西大井にありました。
僕はリアルNSCには行ったことがなかったので、メールを見た瞬間嬉しくなったのを覚えています。
何よりも、ここで遂に同期の通信講座生に会えるのです。

ネタ見せ当日。
今まで一度も降りたことのない西大井駅。
地図で場所を確認しながら向かうは東京NSC。
古く小汚いビルが、まさにそれでした。

めちゃくちゃ緊張しながらネタ見せへ。
作家さんと講師の先生の5人。
特に講師の先生はとても優しく、熱心にネタを見てくださいました。
あれ、NSCの講師ってめちゃくちゃ怖いんじゃないの?と思っていたのですが、そんなことはなく、丁寧にご指導いただいたのを覚えています。
これもあとから知ったのですが、NSCで一番、もしくは唯一優しい先生だったそうです。
多分他の先生だと通信講座生には刺激が強すぎると思われたんじゃないでしょうか。
ネタ見せを終え、何組かの通信講座の同期と初めてのご飯。
といいますか、何十組も集まるであろうと思っていた同期は、たったの4組でした。
僕らと、男性コンビが1組、女性コンビが1組、ピン芸人が1組。
たったの7人です。
芸人辞めた奴もいるし、許可も取ってないので名前は出さないですけど(人生百年は勝手に出してるけど)、あまりの少なさに驚いた記憶があります。
通信講座の奇才ピン芸人しげるバザールとの出会いもここが初めてでした。(勝手に名前出しました

このころから通信講座のプロデューサー(リアルNSCのプロデューサーでもある)とも仲良くなっていて、軽口を叩きあうようにもなっていました。
(あとでめちゃくちゃ偉くて恐ろしい人ということを知って肝を冷やすのですが)
そんなプロデューサーと雑談の流れで、
「結局、通信講座生って全部で何人いるんですかぁ?」
とニヤニヤしながら聞いたことがあったのですが、その時だけ急にシリアスな顔になり、
それだけは絶対に言えない
の一点張りでした。
きっととんでもない大赤字事業だったのでしょう。

そしていよいよ公開オーディションに臨むことになります。

続く

↑事前ネタ見せの帰りの電車にて。八王子の山奥から出てきて都心が怖かったのか、隣同士座っている。

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