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ネタバレ全開!Y&A 特撮フカボリLabo 2

『仮面ライダー響鬼』(2)


・響鬼
その響鬼の演者である細川さんは、全国のお母さまを「カッコイイ」と虜にしたのも頷ける役者さんだ。私も1周目ではひたすらそう思って楽しんで観た。
が、2周目の時はセリフの部分を聞いていると正直、時々「棒だなぁ」と思ってしまった。
だが、更に3周目を見た時、何かが降りてきたように「この人は“佇まい”の演技が高く買われたのだな」と思った。
セリフをしゃべらせると「ん??」と感じるところは変わらないが、黙ってただ明日夢や京介を見守っている姿、とか、「弟子を取れ」と言われて飄々と受け流そうとする、セリフのない演技。何も言わないのに、大人の器の大きさを感じさせる、という点においては、細川さんの“佇まい”こそが、この“響鬼”というキャラクターに見事にはまっていた。

その響鬼が鬼になろうと決意したのは、かつてイジメを受けていた同級生に助けの手を差し伸べる勇気を持てなかった自分を恥じたことがきっかけである。
そんな彼が、鬼になってから出会った明日夢は、ひねくれてはいないが大人しすぎて、しばしば人の言葉や暴力に潰されそうになるような弱々しさを持った少年だ。そんな彼が、過去の自分がしてやれなかった相手とひどく似通った境遇と人物像に近いことは話の中からも読み取れる。だから響鬼は一見、かなりの距離を取っているように見えても、最終的には明日夢の手を離さない。
そういう背景が話中でしっかり語られていたので、2人のつながりを好感と安心感を持って見ていられた。それがよかった。

特に29話までは響鬼は、当然ながら自分の本業である“鬼”の活動を優先し、その隙間を縫って明日夢と関りを持つ、というスタンスを取っていた。そのため明日夢とは、会えることすら中々ないが、会った時には彼の悩みにも真摯に向き合い、時間があればキャンプにも連れ出したりして、その心に寄り添おうとしていた。
つまり、響鬼は決して“鬼”の仕事に忙殺されて、明日夢を蔑ろにすることはない、ということ。
そういうのが見ている側に伝わる描き方が秀逸だった。

一方の明日夢は明日夢で、そのことで響鬼が自分にかまけてくれない、などと不満を抱くのではなく、数少ない響鬼からの言葉や、闘いに臨む背中から、僅かずつでも自分の精神的な羅針盤を見出してゆく。

こういう「大人には大人の事情があり、子どもにかまけて過ぎて振り回されない」「子どもはその制限された関係の中からでも人としての道を学び取っていく」という、住み分けのはっきりした距離感のある成長物語も、ジュブナイルっぽくてとても好きだった。
しかもこの時点で、鬼の弟子になんかならなくても、すでに響鬼と明日夢には確かな繋がりがあり、師弟関係、いや、導く者と導かれる者、という関係にあることが話の端々からありありと伝わってくる。それもまた、素晴らしいと思った。

それ以降の響鬼は、明日夢の家に上がり込んで夕食を作ったりするシーンなどに象徴されるように、やけに距離感が縮まってくるのが正直、残念にすら思った。が、このパートでは、代わりに京介と響鬼の関係性がもう一つの物語の柱となって立ち上がって来る。

何度観ても性格に難あり、の京介に対し、響鬼は決して「お前は鬼に向いていないから弟子入りさせない」とは言わない。たとえ京介のフィジカルが激弱(ゲキヨワ)なだけでなく、人を落とし入れたり騙したり、とメンタルまでも激弱なのを目の当たりにしても尚、だ。
響鬼は、普通の人なら拒絶反応全開でもおかしくない、彼の精神的に醜い部分から目を逸らすことはない。そういう所についてはただただ沈黙と共に見守り続け、決して詰ったりもしない。
ただ「鬼になりたい」と熱望する京介のそんな姿に、「それでいいのか?」と問いかけるかのように、言葉少なに諭す。
そしてとうとう最後の方では本人のいない所で轟鬼と語り合う中、「あいつは中々根性がある」と、称賛の声を漏らしたりまでする。
京介も、こうやって明日夢並みにゆっくりとではあっても、響鬼の言葉に応えるように、なりたかった「父親を越えるヒーロー」の自分に近づいてゆく。

未熟で、迷い苦しむ子どもたちを導く男。子どもにとってこんな理想的な大人が、他にいるだろうか。

・明日夢
決して心根はひねくれていないが、成長ゆっくり。常に自分に自信がない未熟な一面が目立つ少年、というのが私の明日夢に対する1周目の総合的な印象だった。
響鬼やもっちーやあきら、とどめに嵐のような転校生・京介の一言でそれはもう、うろたえまくってグラグラと揺らぐ。何か行動を起こすにも臆病なのか、なかなか具体的な行動に移せず、そういう雰囲気を感じ取ったヤンキーに付け込まれ、因縁を付けられたり殴られたりする。

響鬼と知り合い、自分でもなぜそこまで強く惹かれるのか判らなかったであろう明日夢は、ただその衝動のままに、高校合格の報告をするべく、鬼の闘いの後方基地に当たるキャンプの場に乗り込んでしまう。魔化魍との命がけの戦いをすることがどんなに厳しく、危ういことかを全く理解しないまま。

そんな彼をベースキャンプで待機していた威吹鬼は厳しく叱ったりしない。そこにはいたずらに触れず、持ってきた食料を分け与え、一緒に響鬼の帰還を待つ。
ただ明日夢の方はその優しさや気遣いにはやや鈍感で、提供された限りある食料を遠慮なく貪り食い、朝には惰眠をむさぼり、寝坊する(これじゃあ、あきらが怒って当然である。むしろ最後、よく許したな)。
話の最後にはあきらの叱咤も手伝って、明日夢も自分の無神経さに気付く。こういう描写で彼が周囲の気遣いができない、未熟な子どもであることがよく分かる。でも一方、それはとてもリアルな中学生男子の姿で、私は好きだ。
世の中、そんなにできた子どもばっかりじゃないだろ。

後半、響鬼の弟子になったのも(明日夢自身に気持ちはあるのだろうが)情熱だけはメチャクチャある京介に引っ張られた感が拭えない。

最終の2話でさえ、明日夢は響鬼から突き放されるようなことを言われてぐらつくのだ。最終話、公園の斜面で滑落しかけた子どもを助けに飛び出したはいいが、自分も這い上がれず、思わず京介経由で距離を取ったはずの響鬼に助けを求めようとする。
極めつけは響鬼から離れていた時間で「人助け」の道として医者になることを選んだと、明日夢が告白するシーンでも顕著に表れる。これ、堂々と胸を張って話してもいい決断だと思うが、最終的に響鬼にそれを語る口調も、どこかグラグラしている。
その姿はどこまで行っても自分の決断に責任を取るだけの勇気を、なかなか持てない人物のようにも見える。

だが、第1~2話を観ても、彼が決して臆病なばかりの少年ではないのでは?と思わせるシーンが出て来る。ここでの明日夢は従妹と共に魔化魍に襲われて、怖い目にあったにもかかわらず、響鬼の戦いの行方を見届けようとするのだ。ひょっとして響鬼が負けるケースだって想定できたはずなのに。

常にむちゃくちゃよろよろしているが、あきらにキツイこと言われて凹んでいても、自分の軽率さを認める度量は持っている。戦闘がひとしきり終わった後のあきらに対し、嫌な印象に負けず「お疲れ様」とマグカップを差し出す勇気もある。
京介にも散々ひどいことを言われるが、彼がピンチの時はとっさの判断で助けようとする。そこには危機に晒されている命であれば誰も差別をせず駆けつける、ヒーローの資質が垣間見える。

けれど明日夢のような子は、いくら響鬼たちの激しい戦いの場を目にしたところで、翌日から「ハイ、俺、もうビビったりしません」なんて声と胸を張るようなことはない。
もちろん、成長著しい子の中にはコツをつかんだようにそれができる子もいる。ただそうできない子も確かにいるのだ。

以前、スピルバーグの『カラー パープル』という映画を観た。奴隷として散々、心を叩き潰されてきた主人公の女性は「何故ここで怒らないのか」と思う瞬間でも、自分の言葉を何度も何度も飲み込んでしまう。これは極端な例だけど、明日夢の反応はこれと少し似ているように思う。
こういう事も一緒に考え合わせると、ものすごくグラグラ揺らぎながらも自分の答を見つけた明日夢が、グラグラしながら成長していくのがよくわかるラストも悪くないな、と思うのだ。
そもそもここまで自分の「軸」がない子が、どうやってその「軸」を獲得していくか。成長していくか。その姿を見ることがジュブナイルの醍醐味であり、楽しみだったから。

今回、You Tubeでのコメントや、公式サイトでは「明日夢が画面に出ると視聴率が下がる」という意見もあった。確かに明日夢のようなタイプにイラッとする人はいるだろうな、と想像はつく。
だが、彼のゆっくりゆっくりでも成長する姿に励まされたり、応援したくなる視聴者も多かったと思う。だから『響鬼』は今でも賛否両論の意見を取り込みながら、何度も話題に上るんだろう。私も見ていてたまにやきもきすることはあっても、最終的に明日夢を嫌だと思ったことはなかった。

『響鬼』はやっぱり響鬼と明日夢の二人が主人公の物語であり、もしも明日夢がいなかったら、物語にここまでの深みは生まれなかったと、私は思っている。

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