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父の夢を見た朝に

私の父は2017年、娘が2才になった次の月に白血病で帰らぬ人となった。娘が生まれて半年で発覚し、その半年後に夫の転勤で他県に引っ越し、さらに半年後、ようやく入れた保育園と復帰した仕事にワタワタしている時だった。1年の余命宣告を受け、4ヶ月後のことだった。

私は亡くなった日の前々日に帰省する予定だったが、娘がその週に熱を出しており、さらに、月初の土曜日だから休まない方が良いなということで、帰省を取り止めていたいた。その日に急変し、父は翌日亡くなってしまった。母からの急変の電話を受け、夜中に車を飛ばして3時間、死に目には会えたが、意識はもうなく、話をすることは出来なかった。喪服などを準備して帰るのだ。死んで欲しくない人のために喪服を前もって買い、前もって準備して帰る、こんな馬鹿馬鹿しいことがこの世に存在するのかと訳がわからなかった。

父はこどもが好きではなかったが、私が送る写真や動画を見て、保育園に入り少ししゃべるようになった娘に会えるのを楽しみにしていた。父の病は免疫力がなくなり、風邪ですら命にかかわる病だ。血液病棟には菌を持つこどもは立ち入り出来ないくらいだ。父は大きな病院から、治る見込みがないから退院して欲しいということを言われ、自宅で過ごしていた。帰省を中止した判断は誰がどう考えても、正しい。それは100%間違っていない。ただ、どうせ次の日に死んでしまうなら、なぜ私は娘を連れて帰らなかったのか。父にしゃべるようになった娘を会わせてあげられなかった。仕方なかった、誰に聞いても正しいと言ってくれるし、私も間違いなくそう言うだろうし、そう思っている。ただ、その正しさは私を後悔から救いあげてはくれなかった。

とある日の明け方に夢を見た。私は実家の茶の間でうたた寝をしていたようで、しまった!娘はどうしてる?と慌てて起き上がった。改装前の懐かしい茶の間の時計は8時を指しており、もう今はなくなってしまった台所への引き戸を音を立てて開けると、娘は父から飲み物をもらい飲んでいた。ほっとして、父にお礼を言いった。父は生前、お風呂は地元の温泉にしょっちゅう行っていたので、夢の中ではそんな雰囲気で「帰ってたんだ?」と私が問うと、父は「おぅ、なかなか良かったぞ」と答えて笑った。

そこで突然目が覚めたのだ。目が覚めた瞬間から、もうなぜか涙が止まらない。我慢できずに嗚咽をもらしながら、しばらく泣き続けた。なぜか、絶対に夢ではない、父に会ったと思った。携帯の画面で日付を見ると、お盆中日。お盆は保育園が動くので、お盆なのに実家にいない私に会いにきてくれたのだと思った。この夢を見た日から、少しだけ気持ちが軽くなった。

ある日、娘が私たちの結婚式が見たかったと拗ねてしまった。そんなこと言ったってなぁ…いや、あるじゃない!式場から言われるままに契約してしまったバカ高いDVDが!ということで、再生した。その中には、式の様子以外に、両親からのメッセージがあり、父が「◯◯ちゃん、幸せに。いつでも見守ってるよ」と私に言うのである。DVDを受け取って見た時には、正直、ほよ~恥ずかしいなぁ、くらいの感想だった。が、動いてしゃべる父がいて、父がそんなことを言うのだ。娘の手前、涙をこらえるので精一杯だった。

このnoteは心の整理のつもりで書いたし、まだまだ書きながら涙が出る。あの夢は私に都合のよい夢で、父が来てくれたなどとは非科学的極まりない。それでも、DVDの中の父の言葉はそういうことなんだと思うことは出来ると感じている。

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