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埖夫/元澤一樹[爆発オチなんてサイテー!!]

 埖夫は全てを失った。家族も未来も自分自身も、記憶も安全も一瞬で失った。
 埖夫という名前は本名ではない。本名は確かに別にあったはずなのだが、「本名は別にある」という以外の記憶をほとんど失っていた。
 着ているシャツの胸のポケットが空なら履いている七分丈のカーゴパンツの前後左右のポケットも空だった。
 ここまで言うと埖夫は全てを失っていないのではないか、と思うのかもしれない。それは半分当たっているが半分は不正解だ。なぜなら、埖夫は〈人として生きるために最低限度、持っているべきもの〉の全てを失っていたからだ。
 埖夫は歩いていた。特別、向かう先があるわけでも、到達地点があるわけでも、つまりは定まったゴールがあるわけではないため、ただただ歩いていた。埖夫は、〈自分が埖夫であるという事実を最後の記憶〉だと記憶していた。それ以外は何も覚えていない。もちろん歩くこと、話すこと、覚えること等を除いては。
 人間誰しも自分が記憶喪失者だと自覚したなら、記憶を無くす前の記憶を思い出したいと感じるだろうが、埖夫はそうでなかった。      埖夫は過去に興味や関心等は全くなく、ただ、現状の自分に必要なもの、生き残るためのヒントを得るために行動するだけだった。少し視点を変えて言うのなら、不気味なほどに未来に期待を寄せている、とも言えた。
 埖夫はできるだけ頭を空っぽにして道を進んでいた。別段、道端に咲いたオジギソウに関心を抱くでもなく、つがいのヒバリに嫉妬するという訳でもなく、狂人的な足取りで道を進んでいた。目の前に分れ道が表れた時には「右→左」を交互に繰り返し選択し、もしも十字路やそれ以上の分れ道が表れた時には、どれだけ細くても酷い獣道であろうとも、右の道と左の道を選択して進んだ。埖夫にとって一本道以外の直進なんて論外中の論外だった。

 そうして何事もなくジグザグに道を進んでいた埖夫だが、あるとき突然、歩みを止めた。その理由は目の前にいた一匹の中型犬によるものだった。犬種はよく分からないが埖夫はなぜかその犬に見覚えがあるような気がして「クニヨシ?」と声をかけてみたが、中型犬はこちらに反応すら示さなかった。それもそうだろう、今なんとなく思いついた名前を呼んでみた、ただそれだけなのだから。埖夫は今現在、記憶喪失者に当たる存在で、また、それを自覚しているという自身の社会的性質を利用して、この中型犬を殺してしまおうかとも思ったが、やめた。犬を殺したところできっと後々面倒なことになると、記憶を失っている脳でも想像つく。そのようなことはなるべく今はしたくない。わざわざこちらから進んでデメリットを負うことは無い、と情報を整理し、またジグザグと道を進もうとした。そのとき、ポン、と右の肩を誰かに叩かれた。振り返ると、そこには誰もおらず、透明人間? という自分の馬鹿馬鹿しい思い込みも即座に消し去った。ちょっとした自己嫌悪に苛まれそうになったところで、埖夫はそれに気が付いた。
 柿だ。
 歩道と車道の境目の白線の上にテカテカぷっくりとした柿が落ちていた。もしかして、と埖夫が頭上を見上げると民家の庭に植わっているであろう柿の木の枝が石垣を超えて、ぬん、と大きく伸びていた。つまりは、民家の柿の木に実を付けた柿がたまたま埖夫の右の肩に落ちたのだろう。埖夫は時間をかけてそう推測した。埖夫はその柿の実をカーゴパンツの左ポケットにしまった。
 捨ててしまっても良かったのだが、埖夫にとって初めて入手した記念すべきアイテムであったため、埖夫は運命を感じたのだ。埖夫はその柿に、さっき中型犬を呼んだ時の「クニヨシ」の名を授けた。記憶喪失の身でもリサイクルという道徳的な概念はあるのだろう。
 そうこうしている間に中型犬はどこかに行ってしまったようで、埖夫は再度歩みを進めた。

 埖夫がひたすらに国道沿いを道なりに進んでいると、突然、肩をぽん、と叩かれた。さすがに二度も柿の仕業だとは思わなかった埖夫が背後に目をやると、男か女か分からない容姿の老人が立っていた。
 「どうかしましたか?」と埖夫が声をかけると、男か女か分からない老人は一言、かきをくれ、とだけ発した。イントネーションが最後まで一定していて機械音のような気持ちの悪い話し方だったため、埖夫は強い警戒心を抱いた。
 「柿なんて持っていませんよ」埖夫は嘘をついた。折角入手したアイテムを手放すには惜しかったのだ。それにしても、記憶喪失の身でも嘘はつけるのだろうか。もしかすると〈嘘をつく〉という行為そのものが、「人間の性」という脱線不可能なレールの上をただひたすらに走るようなものなのかもしれないな、と埖夫は無意識のうちに脳内に描いた。それはともかくとして、「クニヨシ」を失いたくはないし、なにより、この男か女か分からない老人に関わるのは止すべきだと半ば意識的に埖夫は察した。
 それでも、男か女か分からない老人はやはり、かきをくれ、と機械音声じみた声で言った。
 そこでふと埖夫はある仮説を思いついた。それは〈この老人は、先ほど「クニヨシ」を入手した民家の住人で、自分を柿の実泥棒だと思って追いかけてきた〉という説だ。俄かには信じられない。勿論この仮説を立てた埖夫自身、半信半疑だったが──ぁ、 

              ぽんッ。

                   〈了〉

10人の作家による爆発オチ小説を10篇収録
《収録作品》
1.「渺茫の星園」 鳩
2.「言わぬが花」 二歩
3.「急速決闘セクシーショット」 ひづみ
4.「つがい」 カルノタウルス
5.「僕が潰しました」 ムヒ
6.「パクチート・グミガスキーの復讐」 パクチート・グミガスキー
7.「glitch」 葬式
8.「休日」 静流
9.「コーポ花園の憂鬱」 茉莉花ちゃん
10.「埖夫」 元澤一樹
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◆10篇の爆発オチ小説を収録 全44P
◆商品サイズ 中綴じ製本(A5)
◆2021年発行

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