ポーカーで大負けしたら、挑戦した気持ちよさが残った
ギャンブルの類はやらないけど
私は、人から見られるほど品行方正なタイプでもないけど(笑)、ギャンブルの類はしたことがなかった(多分)
しいていうなら、小学生の時に「ドンジャラ」という、ドラえもんの麻雀的なやつにはまり、友達とずっとやっていた。
とはいっても、私はここぞという勝負ごとには勝ちたい負けず嫌いなタイプだし、負ければものすごく悔しがる。
そんな中、人から誘われ、人生初のポーカーをしてみた。とはいっても、サークルのノリ的、チーム対抗のゆるやかなやつだけど。
思いもよらず白熱
会場でチームが分けられて、5チームの対抗戦だ。
「やるなら勝ちたい」
ある人に「身体の中に化け物を飼ってる」と言われたことがある。褒められてるのかなんなのかわからないけど、本質的に自分の中にたぎる情熱があるのは自覚している。
(なんでか表面には、あんまり出ないらしいけど)
なので、負けず嫌いの血が騒ぐ。
とはいっても、私はポーカービギナー。
最初は、ちまちまと様子をみていた。
今は勝負かけるべきか?見るべきか?
そんな問いかけを自分に繰り返す。
勝負かけるのは、失いそうで、怖い。
そんな中、直感的に「コレはいける!」と思った瞬間があり、勝負に出る。
ストレートがきまる。快感!
コインがじゃらじゃら!わーい。
がしかし
途中まではうちのチームはかなりいいペースできていた。
それでも残り30分。
チームメンバーが勝負にでたが、あえなく敗退。
わ、このままいくとチームは勝てない。
これは大勝負にでるしかない!
残り10分。
結果は…私は最後の勝負に負けて全部失った(笑)
テーブルで数名が勝負にでて、私は根拠もなにもない勝負に出た。
結果、ゼロだ!
全部ゼロになったけど、私は挑戦した
いつもの私なら、手堅く残してそこそこで終わらせたかもしれない。チームの勝利という視点では、もしかしたらその方が良かったかもしれない。
バカな勝負にでたなぁと。
完全にゼロになった人も数名しかいない。でもね、ゼロになったけど誇らしかった。
だってバカになって挑戦して、勝負してのゼロだから。
不思議と「挑戦した」という事実だけが、私の中に残った。
自分のパターン
またひとつ、自分が一皮むける上で、必要だなぁと思うのはこんなこと。
コレも全部わたしだから、卑下してない。
この個性がよく作用することもたくさんある。
私のかわいいパターンや個性達だ。
でも、自分の周りにより豊かさが広がる世界を作ろうとしたら。自分のパターンみたいなのを超える必要があるんだよなぁ。
「根拠はなくても自信をもって、大きくでる」
そんなことの練習になった。
この数ヶ月、自分にとってはとてもしんどかった。
なんだかいろんなテーマが降ってきて、自分を見失いそうになることもあった。
でもひとつずつ超えてきて、なんだか少し視界が開けてきている感覚もある。
全部が必要なことって感じ。
自分に変化を起こしたいときは
ちょっと外れたフィールドで、自分のパターンを超える練習をしてみると良い気がする。
例えばお金を使うことに抵抗があるなら、駄菓子の大人買いをしてみるとか。
いつもなら行かない場所にいってみるとか。
遊びのポーカーで大負けして全部失うとか(笑)
ほんとたぶん、なんでもいいのよね。
私は私自身の可能性に期待してる。
挑戦と失敗の数。それが私の可能性をきっと伸ばすだろう。
私が私を生きれば生きるほど、挑戦すればするほど、私の大切な人も場所も、どんどん豊かになるはずって確信もある。
楽しんでもがく。
今日の勝負はゼロになったけど、
私にとっては大きな一歩のゼロだ。
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