[小説] 深夜の着信①
その日、アヤカと喧嘩して家を飛び出した。喧嘩の原因はなんだったのか覚えてないけど、たぶん他愛のないことだったと思う。テレビボードの上にあった財布とスマホを無造作にポケットに入れて、俺は駅前まで歩いて行き一軒のカフェに入った。深夜まで営業している店で酒も置いてあったが、コーヒーとマイルドセブンを頼んだ。
学生時代はまるで暇な時間を埋めるかのようにいつも煙草を吸っていたが、社会人になってからは不思議と吸いたいと思わなくなった。およそ3年ぶりに吸った煙草のおかげで胸の辺りに疼いているモヤモヤが少し治まった気がした。アヤカと喧嘩すると、何に怒っているのか自分でもわからないのに、何故かモヤモヤした気分だけがいつまでも残る。
暇つぶしにスマホでも見ようと取り出すと、待ち受け画面が違っている。どうやら間違えてアヤカのスマホを持ってきてしまったらしい。スマホをポケットに戻し、店にあった週刊誌で時間をつぶしてから帰路に着いた。途中で着信が鳴った。俺はアヤカからだと思ってすぐに出た。
「アヤカ?」
ところが還って来たのは男の声だった。
「おまえ、アヤカの何なんだ‼」
「夫ですよ。」
「俺がアヤカの亭主だ!おまえ人の女房をどうするつもりなんだ!」
「アヤカは1年前から僕の妻です。どこか掛け間違いじゃありませんか。」
「俺は3年前からだ。」
男は数秒間、何やら口の中でもごもご言ってから
「覚えていろよ。俺は絶対おまえを探し出して訴えてやるからな!」
電話が切れた。
アヤカは俺の他に亭主がいる?まさか、ありえない。でもなんであの男、アヤカの携帯番号知っていたんだ?それともあの電話はパラレルワールドからかかって来たのか?何が何だかわからないまま家に帰った。
「アヤカ、俺の他に亭主っている?」
居間に入った早々そんなこと言うものだから、アヤカはきょとんとした顔をした。スマホを差し出すと、
「ああ、やっぱり!私のスマホ持って行って勝手に見たんでしょ!」
「見てないよ。」
「見てもいいよ。別に浮気とかしてないし。」
俺は今しがたかかってきた電話のことを話した。
「やだー、気味悪い。じゃ、またここにかかってくるかもしれないじゃない。」
「着信拒否しとけば。」
話している先から着信音が鳴った。どうやら先ほどと同じ番号のようだ。ひとまず俺が出る。
「もしもし。」
「おまえ!アヤカをどこに隠したんだ。」
「アヤカならここにいますよ。本人に代わりますからあなたの奥さんかどうか自分で確かめてください。」
不安そうにしているアヤカに大丈夫だよと促し、スマホを手渡す。
「どちら様ですか?…私はアヤカですけど、あなたがお探しのアヤカさんの上のお名前はなんですか?…それは私じゃありません。…はい、ごめんください。」
思いの外アヤカは落ち着いた態度で対応していた。見直した。相手も間違いだと悟ったようだ。
「間違いだって理解してもらえた?」
「うん。でもね、あの人の奥さん、オオツボアヤカって言うらしい。」
俺の奥さんのフルネームは大塚彩夏(オオツカアヤカ)、なんてニアミスな名前なんだろう。しかし、その時はアヤカもさっさと着信拒否の設定をし、俺達の中ではその件は片付いたつもりになっていた。
(続)