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44.Honesty

最近、自分を好きになれた瞬間があった。

それには、2人との出会いが大きく寄与している、(すーぐ忘れちゃうからさあ書いて残そう) と思う。

1人目は実在さえしない。小学校高学年向け小説の中の人【僕の元パートナーは、公正な人でね。「(父親である)あなたがのぞめば、いつでも娘に会わせる」と言ってくれるんです。でも震災の時に一時帰国せず仕事し続け、深い傷を与えてしまった僕の口からは、とても会いたいなんて言えなくて」(娘が卒業→結婚→出産と人生を送っていく様子をそっと近くまで行き、見つからないように見守るだけの年月)】

2人目は、【元パートナー(同居親)が、自分のことをよく思ってないから、子どもには死んだと言ってるかもしれないし、自分から会いたいと言えば、平穏な(はずの)今の生活を、かきみだしてしまうかもしれない。勿論、こどもが会いたいと来てくれた時には喜んで会う。】といつ会ってもいいように、かっこよくい続ける努力をし、養育費だけを送っている友がいる。

環境や立場を使えば、私も簡単に、「会わせない」ということが出来る。でも、会わせないとか会わせるとかが、もう、ちょっと違う。

子どもの権利だから。親の権利じゃないから。

あと子ども側の立場の投稿もたくさんたくさん読んだんだ。子どもの意見を聞くのも重要だけど、聞きすぎるのもどうなんだと。

今の家庭裁判所の大方針は、虐待親であっても、何とか第三者機関を利用してでも会わせるというもの。

もちろん、会わせるにあたって、私の安定や安心感は根こそぎ奪われるし、平穏なはずの新生活はぐらぐら揺れる。しかし、子ども側が、それで安定するなら、私の心なんか、鍛えりゃいいんでそ。

ただ、ただ、自分の信じたことを貫きたい。公正に生きたい。そんな風に生きる覚悟をくれた、たくさんの出会いに感謝しています。

この独り言のようなnoteを最後まで読んでくれた人がいたとしたら、本当にありがとうございます!


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