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沖縄本土復帰50年の日

2022年5月15日は沖縄が本土に復帰して50年の日だった。
朝ドラが沖縄の話なのも今年が復帰50年の記念すべき年だからだろう。
しかし、ここ数日、沖縄の本質的な問題に切り込んでいる番組は少ない。NHKのニュースなども基地問題には触れずに沖縄経済の振興策を語り、沖縄の特殊事情をほとんど考慮しない分析。これはどこの地方の話なのだという取り上げ方ばかり。朝ドラの舞台も復帰前の沖縄なのに全く米軍の影はない。そんな、あるはずのことが無いことのように扱われる空気が日常になってしまっている沖縄復帰50年の日本なのである。

などと書きながら、このところの私は自分の身体のことを考えるのに精一杯で、ウクライナで行われているロシアとの紛争も、沖縄のことも、テレビを横目に眺める程度だった。どちらの問題も自分と確実につながっている事柄であるし、一人の無関心が現実に存在する問題を風化させ、当事者を、より厳しい状況に追い込んでいくということは体験的に感じているが、自らの体の不調の前には、なかなかに関心を保つことは難しかった。

でも、さすがに今日ばかりはこうして沖縄のことを書き留めておこうと思った。

本土復帰50年の節目の年なのである。
なのに、このところ辺野古のこともほとんど報道されず、地位協定の不平等について考える報道番組も少ない。一方で、ウクライナの問題を受けて、軍事力強化という声ばかりが聞こえてくる。沖縄の基地問題を俎上に上げれば、軍事力強化を言いにくくなるという忖度がメディアに働いているのか? この沖縄復帰50年に関わる報道や番組で基地問題が触れられることは気持ち悪いくらい少なかったのだ。

乳がんの再発がわかり、自然治癒力を高める治療によって、腫瘍が徐々に小さくなってきていた2016年夏、さらなる治癒を目指して沖縄に行った。治療をするわけでは無い。その前年、ハワイ島に行き、体験的に海で泳ぐことが体に良いと感じていたからだ。

沖縄ではなーんにもない久高島に滞在し、海で泳いだ(タイトル写真は久高島です)。
夜、食堂では、地元の人に、どうすれば久高島の衰退を止められるか、都会の人の知恵を貸してくれと話しかけられ、もう一人の旅行者と一緒に夜を徹して語ったが、その後、彼らの力にはなれていない。

海蛇採りをするというおじいは、海蛇をとりに潜るから同行しないかと言ってくれたが、帰りの時間が迫っていて果たせず、「今度来た時ね」と言ってからもう6年だ。あのおじいは元気でいるだろうか。

今帰仁にも行った。日の出の頃海辺に出ると、日が昇った瞬間に鳥が囀り始め、命が動き始めるのを体感した。帰京後、泊まったペンションからハガキをもらったが、返事を書こうと思いながらそのままになっている。

このあとしばらくは再発した腫瘍は縮小傾向にあった。
因果関係はわからないが、沖縄の自然や人との交流は私の身体に良い影響を与えてくれたと思う。

なのに、私は沖縄に何のお返しもできていない。

もう一つ言えば、ある勉強会を介して知り合った沖縄の友人が、今現在、東京に短期滞在で出てきていて、私の現状を知り、部屋の片付けなどを手伝ってくれている。そんな彼女にもお世話になりっぱなしだ。

そう言えば、最近、仕事の関係で見ていた資料の中に、沖縄大宜味村でおじいおばあたちが常に口にしているという「くわまーが、かふうあらしみそーれ、とぅくとぅみそーれ」という言葉に出会った。「子や孫の世代の幸せを願い善い行いをするんだよ」という意味で、この地域の人々は未来の人々の幸せも考えながら今の行いを考えているという。

沖縄は本土復帰後も、米軍基地という重い荷物を本土に住む人々のために背負ってくれている。

戦後77年。そろそろ、沖縄の人々の優しさと寛容におんぶに抱っこせず、基地問題や安保問題を考えるべき時なのだろう。

私たちは本当に沖縄の世話になっているということを自覚するべきだと思う。




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