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これからの仕事の話とサポートのお願い

「書くこと」を仕事に

このnoteへの投稿も40記事を超えました。
がん再発との長期共存を目指す日々を書いた記事が多く、そもそも、がんとは何かを考えようとして始めたものですが、がんとは関係ない記事も増え始めています。というのも、結局、病を治すということは、いかに自分が自分の人生に喜びを持って生きられるかということと直結していると感じているからです。

日々の生活の中で出会うすべての体験が脳細胞をはじめとした体細胞全てを刺激し、それが充実し、喜びに満ちたものであればあるほど細胞も健康になっていく。そう考えると、たとえば、先日投稿したような、故郷の活性化案をいよいよ実行に移したいなんてことも、ある意味、がんのサバイブには役立つのかもしれない。つまり、惰性ではなく、世間体に負けることなく、やってみたかったことに挑戦することで、本当にがんを克服していけるのか、私の最近の日常はその実験でもあるのです。

そして、現在の私にとってそれを収入のある仕事に直結させることが急務です。そこでもう腹を括って「書くこと」を収入のメインにしていくことにしました。

小説を書く才能もない、体力もない。今は取材してジャーナリスティックな文章を書く体力もない。そんな私が文章で食っていくことなどできるのか・・・。ただ、好奇心と批判精神だけはある。本当は自分の病のことばかり書きたくはないけれど、本来なら文章で生きていく才能などない私に、この病はもしかしたら書くテーマとして降りてきてくれたのかもしれない。そして、自分のやることをドキュメントすることが誰かの役に立つかもしれない。そう信じて、書き続けることにしました。

「文章を書く」なんていう今最も儲からなそうな仕事をメインにするなんて無謀かもしれません。しかし、今の私はそれしかできないので、それをやるべきなんだと思います。それで暮らせるようになったら、またその先を考えます。もちろん、生き延びて!

現在の身体の状態とテレビの仕事

今の私の体の状態は常に背中が深く曲がって、外に出るときは車椅子を余儀なくされています。身体を動かさねばできないことはなかなか難しいという状況にあって、やれることも限られ、他人からのオファーで、先方の希望の仕事をこなすことはなかなか厳しくなってきました。ディレクターの仕事もリモートも容認されるからなんとか成立しているようなものです。カメラマンとADさんの協力を得て、インタビュー以外の映像については、私が現場にいなくても事前の打ち合わせで撮影してもらうことでこなせています。車椅子でいけないエレベーターのないような現場の場合、インタビューもzoomを繋いで、私が自宅から取材対象に質問することを許してもらい、やっとやれています。これは現在の仕事先の制作会社が私の古巣で、同期入社だったプロデューサーがかなり私に配慮してくれているがゆえに実現していることです。そうでなければ、早々に仕事が来なくなっていることでしょう。今の仕事にはとても感謝しています。VTRのサイズもコンパクトなミニ枠だから、編集作業の負担も少なく、この身体でもなんとかこなせています。しかし、それさえも以前のように頻繁に受けることは難しく、このところ収入は半減。その収入だけでは大幅の赤字で、徐々に少ない蓄えの切り崩しに入ってきています。

「書くこと」や「話すこと」くらいしかやれない今、私が収入を得る手段は今はそれしかないのです。
今後、ディレクターの仕事が少しでもやれるかどうかは、1ヶ月後の身体の状態次第。それは自分でも全く読めません。なので、ディレクター収入が途絶えた時のことを考えて、はやく「書くこと」を主な収入源にしておかねばなりません。テレビの仕事でも「構成作家」であれば、書くだけでいいのですが、これまでプロデューサーと一緒に企画を作り、テレビ局の募集に応募したりしたものの、成立させるのは難しく、ある時期までは積極的に企画を作っていましたが、このところはそれも滞っております。企画書を書いて、一次審査、二次審査と進んでも、最終的に成立しなければそれまでの努力は水の泡。企画書の制作謝礼も微々たるものですから、今の私にはそれに時間を費やす余裕はありません。

また、企画を通すためには局側の要望も加味せねばなりませんし、いろんな人がいろんなことを言ってきます。レギュラー番組の構成作家の職があれば、しばらく経済的に安定すると思って企画書を作っていましたが、自分の身体の状態が悪くなるに従って、もうお金のことばかりを心配して仕事しててはだめだと思うようになりました。それに、自分の書いた企画が実現したとして、番組はやはりディレクターのもので、はじまったら自分の手を離れてしまう。チームプレーもいいけれど、それは今の私がやることじゃないだろうと思ったのです。自分の采配で、自分が本当に考えていることを出し切れるような仕事をやれないまま、少ない体力を使っていたら、本当にその先が来なくなってしまうかもしれない・・・。そう思うようになってきたのです。

「書くこと」で生まれ変われるか

末期がんを克服した人はみな「生まれ変わった」「人生を変えた」といいます。その言葉に出会うたび、私の生まれ変わった先はどうなっているだろうと思ってきました。テレビの仕事の中でも書くことはやってきましたから、書くことで収入を得ることは「生まれ変わり」ではないかもしれません。でも、私一人の頭と経験から紡ぐ文章で糧を得ることは新しい体験であると思います。それに、私は多分ずっと、将来的には書くことを仕事にしたいと思っていたのだと思います。しかし、自分でも「文才」というものが無いのは感じていたし、思いと継続だけでそれを乗り越えることができるか自信もありませんでした。でも、皮肉なことに、身体がこうして不自由になることで、そうせざるを得ない状況がやってきました。もしかしたら神の采配かもしれません。

それに、「書き続ける」ことで、新たな気づきや見えてくるものがあるかもしれません。頭の中にあるモヤモヤした思考を名文化していく作業を続けることで、今はまだ気づいていない何かに気付けるかもしれない。その時、「生まれ変われる」のかもしれません。

ただ、ちょっと心配なのは、ここのところ胸の鎧が硬くなり、左手でパソコンを打つと鎧に響くことです。ブラインドタッチの正しい指遣いを無視し、左手で打つキーも右に近いものはなるべく右手で打つなど工夫して乗り切っています。この状態は先々改善するものか、今は医師にもわかりません。普通のお医者さんは不可逆だと思ってるでしょう。しかし、末期がんが急に治った人もいることを考えると、それはわからない。私はそう考えて、キーボードを打ち続けています。

故郷の町おこしという仕事について

先日、投稿した「故郷の町おこし」については、10年以上前から時々人に話したりしながら温めてきたものです。純粋に「書く仕事」ではありませんが、今の世の中の在り方に向き合うという意味では書くことと同じだと思っています。

故郷を離れて37年。帰省することも少なく、随分と疎遠にしてきた故郷でしたが、今私がこうして書いているすべてのことの根源にあるのは、子ども時代を過ごした故郷の風景です。あの体験がなければ、今の私は無い。そう確信しているからこそ、シャッター商店街になってしまった実家のある商店街や、私の子供の頃には輝いていたのに今では寂れてしまった魅力ある場所を再生させたいと思うのです。時代は変わると言いますが、現在の状態は、過去のいいものをただ捨て置くだけで、良い所をバージョンアップさせて新しく再生させるという発想が感じられず、残念でしょうがないのです。

まずは小さな蔵書古本屋とよろず相談屋から?

現状だと私は身体を使ったアクションはできませんが、企画書を作り、人に実働を発注することはできます。「プランナー」「プロデューサー」として、この「故郷の町おこし」も私の新しい仕事に加えられたらと思っています。ただ、町おこしを仕事にというと、どこから収入を得ればいいのか・・・、行政から仕事を取るのはなかなかに面倒だし、それは考えどころです。それで、クラウドファンディングができないかとも考えています。

また、町おこしに関しては、なるべく手元の小さいことからやれたらいいなと思っています。
たとえば、まずは実家のお店の前にワゴンを置いて、私のこれまで溜め込んだ古書や古着を販売するとか。そんなに売れるとも思いませんが、街の中心部に書店がなくなってしまった状況に、蔵書古書店という形で、本屋を復活させるのも面白いかなと思ったりしています。

また、店の入り口に「よろず相談」の張り紙をして、30分500円くらいで、なんでも相談に乗るというのも面白そうです。
お客さんに最適解をお伝えできるかはわかりませんが、やってみないとわかりません。子どもの勉強の相談でもいいし、福祉に相談したいがどこが窓口がわからないとか、最終解ではなく、その人が困っていることを解決するためのとっかかりになるような相談窓口です。私がこれまで東京で体験してきたことからわかることなら何でも答えます。マーケティングはしないので、コンサルではありません。あくまでも「よろず相談」です。これは、どういう相談が来るかも楽しみです。共に考えながら解決していく、そんな相談窓口が作れないかと思っています。別に相談じゃなくても、ある本についての感想を語り合いたいとかそういうのもありですよね。そして、その先に、もう少し商店街や街の人々を巻き込んだプランを考えています。

ただ、実家に帰るのは治療の問題もあり、時期が確定できないので、まずはこの「よろず相談」もzoomなどでやってみるのもいいかもしれません。これは、まさに今思いついただけの思いつきです。ユーチューバーになるとか言いながら、じゃあ、何を語ろうという時、スタッフもいないし、今の私ではきっちりした構成を作って臨むのも大変。ただしゃべってるだけくらいのことじゃないと出来なさそうですから、相談室ってのはありかもって思った次第です。でも、お金払って私と雑談しようって奇特な人はそうそういないかなあ・・。それに、こういうのやるとイタズラ目的もありそうですよね。その辺の危機管理について詳しい人いないかなあ・・って、「よろず相談」やるとか言いながら、自分が相談相手を求めてるようじゃいかんですね(笑)

最後に〜再度サポートのお願い

というわけで、これから私が生きていくため、また、がんを克服してさらに生き延びるための仕事について今日は書いてみました。
これを読む方からは、こんな御託や言い訳を長々書いてる時間があったら早くzoom相談室でもyoutubeでも始めろよ、すでに多くのサバイブ系のyoutuberが御託など並べず、自分の現実を淡々と語っているではないかとお叱りを受けそうです。でも、これも言い訳になっちゃうけど、こうして逡巡しながら進んでいく自分のことを書くのも、ドキュメントのひとつだと思っています。

というわけで、「書くこと」については、出版のオファーを待っていても埒が開かないので、やはり、まずはこのnoteでのサポートを増やしたいです。有料化するというのもありますが、そうするとなかなか毎回は読めない人も出てくるかもしれない。また、これはあまり考えたくないし、私自身想定はしていないことですが、このnoteの更新が途絶えた後、有料で記事に鍵がかかったままにはしたくない。私がいなくなったら全公開にしてほしいとした場合は、それまでお金を払ってもらった人に悪い。それなら、最初から全公開にしておいて、この記事に共感してくださり、私に長く書き続けてほしい、書いたものがより広く伝わればいいと思ってくださった方のサポートだけでいいのではないか・・そう思いました。

正直言って、noteでのアクセス数もまだまだで、ここからの収入だけで生活費&治療費を賄うのは現状、相当厳しいです。ですので、もっとこのnoteが多くの人に知ってもらえるよう、情報拡散もお願いします。
ほかのブログなどにも同記事をアップし、広告収入を稼ぐ方法も考えねばならないとも思っています。
少し身体に余裕が出てきたら、冊子などをデスクトップで編集し、印刷にだして販売したい。それの購買者を増やすためにも、今、noteでのアクセスを増やそうと頑張っています。正直、早くそれを実現しないと、やばいです。

もちろん、玉砕してお金がなくなったらその時はその時なのかもしれません。自己破産して生活保護になったとして、特別な治療しなくても治る人は治るのかもしれないし、実家を抵当に取られて、普通なら、杖ついた老親二人と末期がんの娘が放り出されて不幸のどん底に見えるかもしれないけれど、もしかしたら、そこから見えてくる何かもあるのかもしれない。しかし、今、世の中に向けて発信したいことがあって、故郷の町おこしのアイディアも温めていて、こんなにやりたいことのある自分がそこに足を踏み入れるのは、その挑戦を実行してみてからでもいいと思うのです。それで失敗したらその時はその時です。

どちらにしろ、これからは「書くこと」で生きていける人間に生まれ変われればと思います。もちろん、その「書くこと」を口で話すといのもありです。講演会とか偉そうなのは性に合わないですが、お話会みたいなのにリモートで呼んでくださったりするとありがたいです。

また長くなってしまいました。編集担当者がいないと、ついダラダラ書いてしまいます。一人でやるのならば、言いたいことをコンパクトにまとめる努力も必要ですね。でも、決まった字数で書くのって体力いるんですよね…。

でも、読者増やすには、もっと面白いものを書かんとダメですよね。
「ヘルプミー」だけでは、お金は取れぬ。
町おこしの話については、企画案とその進捗をドキュメント。がんとの矯正については、心の鎧を外して、もっと興味深い突破口を見つけたいです!

そういえば、先日、海外の方から、noteだと海外からはサポートできないと伺い、別のサポート窓口も作るべく作業中です。
みなさん応援、サポートよろしくお願いします!!

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