『照星(しょうせい)』 1

     

矢島一等兵、矢島剛(やじまつよし)は狙撃兵訓練を受けることになった。

一等兵という下から二番目の兵卒にとっては人気の高い訓練なのだが、自ら受けたいと言っても受けられるものではなく、普段の突撃銃による射撃の十分な成績、体力、そして分隊長や小隊長の推薦がないと受けられない。
だからその訓練に行くように命令されたことは、そこそこに名誉なことなのだ。

フランス陸軍における中小分隊の構成は、基本的に伍長が分隊の指揮を執り、その下で二名の上等兵がそれぞれの班の班長を務める。その班長の下にまた二名の兵が充てられる。
もちろん階級と職務は必ずしも一致はしない。そしてその二つの班はその時の任務によって、擲弾砲(てきだんほう)、対戦車砲、機関銃などを受け持ったりする。班とは別に、狙撃を担当する者が分隊長の下に直接就くのである。狙撃手は狙撃以外にも斥候、連絡などの任務を受け持つ。
そうした分隊が三個と無線兵や衛生兵などの指令班が合わさり小隊となる。小隊の指揮を執るのは尉官の下、中尉から下士官の准尉が就く。その小隊が三個と指令小隊が集まって一個中隊となる。
また中隊が三個から四個集まり、駐屯単位の連隊を作る。

日本は維新後の明治時代初期、当時近代的と言われていたナポレオンによって創設されたフランス軍を模して組織されたので旧日本軍の構成や階級で考えたほうが日本人は理解しやすいであろう。

兵舎での生活は、小隊ごとに建物の一部を割り当てられ、部屋は分隊毎に入り一緒の生活をする。
入隊後三ヶ月の初等訓練の後に配属が決まった、赤道直下南米仏領ギアナの第三外人歩兵連隊での生活はすでに半年が経っており、普段の生活だけでなく、通常の訓練から作戦までを共にする小隊の仲間とも気心が知れてきた頃だった。

分隊長のルイン伍長が推薦すると言うのだが、しかしその時の剛にとっては、名誉や面白さを感じるよりも、言い知れない責任や義務を感じずにはいられなくて、入隊後言葉がなかなか上達しないながらも、やっと慣れてきた今の小隊での生活から別の世界へと追い出されるような気がしてならなかった。

ところが、狙撃兵訓練は人気があり、そこへ剛が抜擢されたとなると、周りの反応も違ってくる。
やはり人気の訓練だから、剛をあまり知らない他の小隊や中隊の者にとってみると嫉妬心が湧かないわけではない。

「え、ヤジマが?」

と言う驚きと疑問の混ざった声を聞くようになったのである。言葉に問題があると見る他の人たちの心配と期待は、その訓練には机上で学ぶ理論も必要なのだということである。

剛自身は、通常の突撃銃での射撃は遊園地の射的を何十倍にも大きくしたようで面白いと思うが、それより口径が大きく威力の強い狙撃銃で、より精密度を上げるとなると、職業的な熟練が必要であろうし、それは単に技量を積むだけでは身に就きそうにないようにも感じられる。
体力と射撃は、他に引けを取らないが、フランス語の不安は大きい。

そういった噂や陰口を聞いても、不安を感じても、彼の所属する第三中隊第三小隊の隊長マジュビ准尉の、訓練を受けて来いと言う命令であれば行かねばならない。

ある金曜日の朝、とうとう准尉は、同じ分隊の剛とベルーを小隊の事務室に呼んでその命令を出正式に下したのである。

「入室の許可を!」

そう開け放たれたドアの前で叫ぶと、小隊の副体長チャプラン軍曹が招き入れる。剛もベルーも机に座る准尉の前まで進み出て、敬礼をし、白いケピ軍帽を取る。

「ヤジマ、ベルー。来週から、狙撃兵訓練に行って来い。」

「了解しました(à vous ordre)。准尉殿。」

その命令を聞くすぐ横で、彼ら二人の所属する分隊のルイン伍長が、顎に指を当てて澄ました顔で聞いているのである。
マジュビ准尉は浅黒い顔の表情を変えることなく、普通に大きな声で心構えなどを解く。

「結果には、好い結果もあれば悪い結果もある。プラスの結果もあればマイナスの結果もある。しかし、君たちは全力を尽くして、何らかの答えを出してくれ。成功であろうが失敗であろうが、最後まで全力でやって、何らかの答えを出すんだ。いいね。」

「了解しました。」

もちろん反論などできなければ拒否もできない。横で静かに話を聴いていたルイン伍長が口を開いた。

「来月、第一分隊の狙撃手のコルヴィックが本国へ帰任するから、成績の良かったほうに、その後任を任せるよ。」

「はい。」

剛とベルーも第一分隊である。二人は決められたようにケピ軍帽を被り直して敬礼をすると、回れ右から部屋を出たのである。

その後訓練助手を務める第一小隊のダジルバ兵長の部屋に挨拶に行くと、用意するものや月曜日の時間割などが書かれた書類を手渡される。書類の中には各課程を勤める教官の名前も書かれているのである。

「え!ルインが教官?」

 ベルーが驚くと、

「え!ブルゴーニュ大尉が訓練隊長?」

と剛も驚くのである。ブルゴーニュ大尉は第三中隊の副隊長である。

剛はその大尉の執務室の前を通るのが嫌で、わざわざ別の階段を使って遠回りすることもある。
軍隊の執務室の戸はいつも開けられていて、誰もがいつでも報告をしにこれるようになっている。
しかし報告などがなくても、剛が通ると決まってそれを見つけて招き入れる。そして一言、

「早くフランス語を覚えろ。」

と、出来るだけフランス語で声をかけてくるのである。
目を掛けられているのか睨まれているのか、出来るだけ遠ざけたい上官だったのだ。

部屋に戻る途中、ベルーは喜んでいるのだが、その嬉しさを隠してわざとクールを装っている。

「おい、ヤジマ。訓練中は、助けないぜ。俺も必死だからよ。」

「あぁ、まぁ、そうだね。」

ロンドン郊外で育ったベルーは、十代半ばから売れないパンク・ロックのバンドを組んで活動していたのだが、フォークランド紛争に従軍して帰ってきた学校時代の仲間が、勲章をちらつかせながらその戦功を自慢するのを見て、対抗意識が芽生え、そして受け入れられない自分たちの音楽活動や、先の見えない生活に見切りをつけてフランスの外人部隊に入隊してきたのである。
それでもケピの内側には、モヒカン刈り姿のバンド時代の写真が入っている。

方や剛は、大学を卒業し就職はしたものの、単調な会社員生活に倦怠感を感じ、輝きを失っていくようで将来に不安を感じると、初めてのボーナスをもらってからすぐに退職してフランスに渡ったのである。ただフランスへの期待は不安の裏返しでもあった。

「最近の若い者はすぐに逃げ出すね。」

それが会社の上司の最後の言葉であった。

                 つづく

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