「翔べ! 鉄平」 エピローグ 24

 アメリカによるB-29の本土空襲は、当初高高度からのレーダーを使った精密爆撃を軍事施設に対して行っていた。

 首都圏の防衛は海軍の厚木飛行場、そして陸軍の調布、成増、柏や松戸の各飛行場が担っていた。
 しかし海軍はミッドゥエーやマリアナでの海戦で多数の飛行機を失っており、当時量産されていた零式戦闘機が主力となり、また次期戦闘機の開発も遅れていたのである。

 零式戦闘機は航続力が長く低速での運動性能には優れていたが、極端に軽量化され被弾時や急降下時や高速時の運動での耐性が脆かった。また艦上攻撃機として設計され、その性能は低中高度での戦闘を想定していたため、高高度での性能に劣っていたのである。そのためB-29を撃墜するには困難を極めていた。

 日本はそうした爆撃を阻止するため硫黄島を拠点として攻撃を続けたが、1945年3月には硫黄島もアメリカによって占領されてしまった。
 サイパン島からの中継地点を得たアメリカは護衛戦闘機を伴い夜間の爆撃を開始する。低空で進入し東京、大阪、名古屋などの大都市で、市民をも巻き込む大空襲を展開していた。

 空襲を警戒する町には灯火管制が敷かれ、地上は首都圏といえども闇となり、暗黒の空と溶け込む。

 1945年3月10日、22時。
 八丈島のレーダーが敵飛行編隊の来襲を捉えた。町には空襲警報が発令され、軍民すべてが明かりを消した。

 ただアメリカの編隊はなぜか房総半島の沖合へ消えていってしまった。

 厚木の基地に詰めていた啓二は『月光』の機体に右手を押し当ててほっと胸をなでおろした。

 少ない機体を大事に使わなければならない。それまで何度か出撃したことはあったが、B-29を狙って高度を上げても戦闘態勢を保つことが出来ず、何度もB-29を逃してきたのだった。
 そして着陸すると、安心している自分に気がついていたのだった。

 硫黄島陥落以後、アメリカは多くの護衛機を伴い中高度で進入してくるのである。
 そして今、中高度で護衛機を伴ってやってくるとなると、彼らとの本格的な空中での戦闘が始まる。しかも戦闘は視界の利かない夜間に繰り返されるようになる。

 この夜間の爆撃が、また日本軍を悩ませた。零式などの単座戦闘機では飛び交う敵機を追うことができず、海軍はレーダーを搭載する偵察機を改造した『月光』などを夜間の迎撃に使っていた。

「やつら、何を考えているンでしょうね」

啓二と組む鴨志田曹長が暗くなった空に何かを探すように眉を顰めて呟いた。

「警戒を怠るな」

啓二も暗い東の空を見上げた。

「亀田中尉、変だと思わんか」

 厚木基地の司令官を務める大佐が腕を組みながら口を一文字に引き締めて啓二の後ろに立っていたが、啓二たちには暗がりの中の表情はよく見えない。二人は声で判別した。

「大佐殿……」

「戻ってくるンじゃなかろうか」

「はい、いつでも出撃できる用意をしておきます。今度こそ」

大佐はそれを聞いて司令室に戻りかけたが踵を返してまた啓二に向き合った。

「いいか、あの攻撃はするな。生き残れ。撃墜されても落下傘で降りて来い」

 啓二も鴨志田も黙っていた。反論しようとしたのか納得し安心したのか、考えに迷い言葉を捜していた。
 ただ落下傘という言葉で鉄平たちのことが思い出された。その頃の戦闘機の脱出用落下傘はまだ自動開傘ではなく、また座席にも射出装置はついておらず、操縦席から自力で飛び降り、自力で傘を広げる旧式のものであった。

「熟練操縦士は貴重だからな」

「はい」

 啓二はやっとハイとだけ答えられた。すでに九州では「特別攻撃隊」としてアメリカ軍の艦船に自爆攻撃を仕掛ける作戦が行われていたことを、啓二だけでなく鴨志田も聞いていた。

「生きて帰れば、また戦える」

 大佐はそう言って再び踵を返して司令室へ戻っていった。

 啓二たちが詰め所に戻り、一息ついたのもつかの間、大佐の予想通り、房総半島沖合から再び編隊が戻ってきたのである。暗闇の中で息を潜めていた基地が俄かに騒がしくなった。サイレンが空港にも、街にも響き渡った。

「来た!」

詰め所の窓から空を眺めていた鴨志田が興奮を押し殺して言った。

「行くぞ、鴨志田」

エンジンを掛ける音がする。プロペラが回転を早める。

「子供の頃の夢って、こんなんじゃなかった。風に流されすぎたようですね。亀田中尉。私は、覚悟はできています」

 鴨志田の表情と言葉の抑揚と意味が噛み合っていなかった。鴨志田の言葉をどう解釈するか、啓二は迷った。戦闘機に乗るなら危険は覚悟の上だ。啓二は戦闘機に乗る度に、幾度となくその覚悟をした。

「諦めるな」

それが啓二の狂った風に立ち向かう足掻きだった。

                      つづく


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