『照星(しょうせい)』 4
ベルーが剛の成績を意識するのも、その射撃に似ている。
訓練でいい成績を上げるには、その過程で目指す目標が必要である。
単に「いい成績」では目標が漠然としてしまう。
また他の小隊、中隊から来ている者では、その能力がどこに向いているのかが解らない。
そこで普段から生活を共にし、作戦や行軍、通常の訓練を通して、性格や才能を熟知している剛を取りあえずの目標に据えたのであろう。
実際にはベルー自身が意識して剛を目標にしているのではないかもしれないが、気になる存在だったのだ。
同じことが剛にも芽生えてくる。
点数を確認するとき、横から盗み見して笑ったり顔をしかめたりするベルーがいると、同じく気に障る。
笑われれば悔しく、顰め面をしていると嬉しく思えてくる。
二週間目に入ると剛もベルーも、H+Lが百を切るようになっていた。
この百を切ることは、訓練を積めばたいていのものが叩き出す出す事のできる成績だ。
ただここからさらに縮めるには、才能と積み上げる感覚、そして運が必要なのである。
そしてこの頃から、訓練隊の中での射撃優秀者が上位十人程度に絞られてきた。剛もベルーもこの上位十人の中に残っていたのだが、しかし試験は射撃だけではない。
ベルーは机上で理論の講義を受けているとき、質問されても答え方が解らないでいる剛を見るとそのフランス語を理解できているのかと不安を覚えてあげる。
「ヤジマ、もっとフランス語、勉強しなきゃナ」
「あぁ」
こんな励ましは、言葉がすぐにどうにかなるものではないので、剛にとって一番辛かった。
ところが剛は、コンパスを使って方角を割り出したり、距離や速度を計算する問題になったりすると誰よりも早かった。
計算が伴う小テストで紙に書かれた問題の意味が理解できると、答えは誰よりも正確なのだ。
それは小さい頃から試験慣れしている日本人独特の力なのかもしれない。反面、ベルーは、幾何を応用する地図の読み込みや距離の計算、速度の割り出しなどはもとより、掛け算に割り算が入ってくるとお手上げなのだった。
「ヤジマ、この問題、解るか。自分の位置、A地点から戦車が一台見える。その戦車の高さは一ミリエムに見える。戦車までの距離を割り出すンだ。そういう問題さ」
と問題の意味をこっそりと英語を交えて剛に説明してあげるのだが、剛にはその裏が透けて見えた。
「あぁ、戦車って、高さは大体二メートルだろ。それが一ミリエムの高さに見えるなら、距離はだいたい五百メートル…」
剛は呆れた顔をしてベルーにそっと教えた。
「そうか」
ベルーはそっと横目で剛の答案を見ていた。剛も隠さなかった。そうした二人をブルゴーニュ大尉も流し目で確りとこっそりと見ているのだった。
ミリエムとは、中心点Oから千メートル先にA点を定める。同じく千メートル先の円周上にB点を定める。
そのA点とB点を結ぶ直線距離が一メートルの長さの場合、A-O‐Bの角度を一ミリエムとし、円周を六千四百ミリエムで表す。
第二次大戦後NATO加盟諸国が使い始めた角度単位である。
ミリエムという単位は、剛もこの訓練に参加して初めて知った角度の単位であった。
ただ一度理解すると、デグレ(度)より便利なことに気がついた。
特にあの狙撃用のスコープの円の中に見える、照星を導き出す黒い帯の幅が三ミリエムだと知ると、拡大される景色をスコープで見ながら距離を感じることが出るのだった。
週二回行われる八百メートル走では、戦闘服に十キロの背嚢と銃を担いで走る。ベルーは常に剛の後ろを走り、そしてゴール寸前になると、剛を抜き去ろうと全身を前へ前へと持っていく。剛も抜かれるとそれを追う。
「おい、ベルー。なんで抜かないンだ。後ろに居られると、追われているようで、いやなンだ」
「まぁ、体格も歩幅も同じぐらいだからな。ペースが合うンだ。ハハハ」
そうしていつの間にか訓練兵の中で先頭集団を作り、一位から四位の間を二人が争うようになっていたのだった。
訓練が三週間も過ぎる頃には、剛は銃の調子が微妙に違ってきていることに気づいた。
しかしそれが確かなのか、好い数字が出せないための言い訳を探しているのか、自分でもよく解からないでいたのだった。
そんな時、連隊本部から銃の整備士のデュック兵長がキャンプにやって来た。午後の机上での授業を割いて全員の銃の点検が始まった。兵長は大きなジュラルミンの手提げケースを開いて細かい道具を並べ、持ってきた万力や鋼をテーブルに並べた。その兵長の前に我先にと並んだ者がいた。
「クリング一等兵です。お願いします」
クリングは細身で小柄のオストリア人でいつも口を尖らせた顔をして話す。
「ほほう、憧れの狙撃兵訓練に来られたな。で、どうだ」
クリングはすでに四年も在隊しておりすでに古参なのだが、いまだに一等兵だった。
彼はデュック兵長と同じ仕事中隊に所属して、軍給品の管理をやっているからお互いを良く知っていた。
「俺のこの銃、銃身が曲っていますよ。どんなにスコープを調整しても、狙い目に当たらないンです」
「ハハハ、曲がっとるのはお前の根性だろ!」
兵長はクリングに嫌味を言いながら、その後ろに剛とベルーが並んでいるのを見つけて話を続けた。
「この銃は、この訓練中隊で使っている銃の中で一番新しいンだ。もし曲がっているなら、お前が乱暴に扱ったンだろ。どうだ、後ろのヤジマとベルーに、試しに撃ってもらったらどうだ? ん?」
「いえ、それは結構です」
クリングはしぶしぶ断わって引き下がった。もし、剛やベルーが上手く撃ってしまったら、彼の言った事は、成績が上げられない言い訳になってしまうからだ。
たぶんこうした彼の性格はみんなに見抜かれていて、だから四年たっても一等兵のまま、みんなの嫌がる倉庫番の仕事をやらされているのかもしれない。
こうしてデュック兵長の目に掛かれば、銃の問題点は殆どが解明されてしまう。剛の番がやってきた。
「ヤジマ一等兵です。お願いします!」
「ヤジマ、元気か」
デュック兵長は一歩踏み出して敬礼する剛に声をかけた。
「はい、兵長。でも、銃が、なんか変なンです。火が付きにくいンです。いやぁ、そう感じるンですヨ。薬莢の中の火薬が湿気っているンでしょうか」
剛は自分の感じていることにまだ自信がなくて、ゆっくりと考えながら銃の感想を言ってみただけだった。
「あぁ、その銃、よこしな」
デュック兵長は剛の銃を取り上げると、遊底を外し、普段は分解しないそれを分解しはじめた。
そして太い針のような撃針を取り出すとその先端を万力の上に乗せて金槌で細かく叩いた。ただそれだけで再び遊底を組み立てしまたのだった。
「ヤジマ、撃針の磨耗がわかってくるようになったな。撃針の先が減ってくると、雷管の反応が遅くなるンだ。発火が遅れる頻度が多くなるってことは、火薬の湿りじゃない。この訓練をやっていると、それが解かってくるようになる。
今までは、引き金を引いて撃針が雷管を叩いて火がつくのは同時に聞こえただろ。しかし訓練を積むと、その短いコンマ一秒以下の時間が手に取るようにわかってくるものだ。そうすると、弾丸が銃身の中を駆け抜けている時間も感じるようになるンだ」
剛は兵長の目を見つめていた。
「その調子でがんばりなさい」
その頃の剛の成績はHL八十を出せる程になっていたのだった。
つづく
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