加賀百万石、藩主前田氏の居城、金沢城 〜城外編〜 [日本100名城][石川県金沢市]
(2024年3月攻城)
前回からの続き。
加賀百万石、藩主前田氏の居城、金沢城 〜総構え編〜 [日本100名城][石川県金沢市]
いよいよ金沢城内へ。
犀川と浅野川に挟まれた舌状台地だったこの場所に本願寺の尾山御坊があり、「百姓の持ちたる国」、加賀一向一揆衆の拠点だった。が、織田信長軍勢が攻め落とし、佐久間盛政を配置し、城郭として整備した。
賤ヶ岳の戦い後、羽柴秀吉より加賀ニ郡を加増された前田利家が能登の小丸山城から金沢城へ入城し、以降、金沢城が加賀藩前田家の居城となる。
(参考) 能登一国持ちになった前田利家築城の小丸山城 [石川県七尾市]
その金沢城は梯郭式平山城で、縄張り図はこちら。築城時から増改築を重ね、江戸後期にはこのような形となっていた。
前田利家の入城後に本格的な石垣の城造りが行われたという。増改築を繰り返した金沢城はその時々の先端の石垣技術が取り込まれた。その変遷を伺うことができることから「石垣の博物館」として、見学ルートが整備されている。
ということで、まずは城外の石垣をぐるっと歩いて見て回ることにする。
大手門跡(尾坂門)
城の玄関口だけあり、見事な枡形門跡で、奥の石垣も他の城と同様に巨石が積んである。後から、城内に入るときにじっくり見ることにする。
大手門の櫓台石垣の下段は自然石を積み重ねてあり、築城初期の頃をうかがわせる。上部の石垣の石は整えられているので後から増改築された?
お堀(白鳥堀)だった場所は遊歩道として整備されている。
見上げると石垣が見える。台地の上に築かれたお城だとよく分かる。
石川門(現存!)の前もお堀だったか庭園として整備され、前田利家公の銅像が置かれている。
そのそばの公衆トイレのあたりは切支丹寺跡とのこと。要は教会か?
石川門の土橋石垣の一部にシートが掛けられている。今年の元旦に起きた地震で崩落したと思われる。
石川門の櫓台と土橋の石垣。
微妙に異なってくる石垣で面白い。
三の丸東面石垣。
石川門の櫓にもあったが唐破風の出窓がいい味出してるなあ。
東の丸東面の石垣。
ここの石垣、なんか自然石の積み方といい、段々になっている石垣といい、めちゃくちゃカッコイイではありませんか。(語彙が・・涙)
案内板の説明によると、ここが城内最古の石垣とのこと。
堀淵の車橋門跡周辺の石垣。
おっと、石垣の作風がちょっと現代に近い感じになっていますね。案内板によると「明治末の道路工事で堀を埋め立てた際の石垣」だそうで、当時流行した「谷積み」の手法とのこと。
面白いな。最古の石垣と、最新?と思われる石垣が隣り合うって。
鯉喉櫓台の石垣。
右側の石垣がちょっと違うのは現代工法(擁壁構造)で積んでいるため。
こちらは江戸後期の絵図を元に復元しているそうで、当時の石垣は道路の中央まで続く折れ曲りの形状だったようだ。
本丸南面の石垣といもり堀。
こちらも元旦の地震で一部石垣が崩落していた。そのためか、立ち入り制限がかかっていたため、いもり堀の外側から眺める。
玉泉院丸へ入る橋跡周辺、いもり堀の石垣
ここも思いっきり石垣が崩れてしまっている。
玉泉院丸南西の石垣。
玉泉院丸鼠多門周辺の石垣
玉泉院丸鼠多門続櫓台の石垣
あれ?上の隅石がちょいズレてる?
二の丸西面石垣。
こちらも元旦の地震で石垣が崩壊したようで、立ち入り制限がかかっていた。
こちらは大丈夫そうなので、そばまで寄ってみた。
そして、甚右衛門坂下の伴天連邸跡や三代藩主利常を祀った尾崎神社を横目に、
ぐるっと回って黒門跡へ。
そして、大手堀沿いに石垣を見て歩いて、
城外の石垣散策出発地点の大手門跡に戻ってきた。
さて、次は金沢城内を攻める。
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