明智光秀築城、琵琶湖に面する水城、坂本城 [滋賀県大津市]
(2024年3月攻城)
2024年2月のある日、Twitter(現X)のタイムラインをつらつらと眺めていたら、「幻の城、坂本城跡で石垣発見!」というような見出し記事と、それに対してフォローしている城好きの方々が興奮しているつぶやきがどんどん流れてきた。
なんでも、宅地開発していたところで、坂本城の三の丸の遺構と見られる石垣と堀跡が見つかったという。
えー?そんなことある?!
というのが、最初の感想だった。
もう令和の時代だし、大体のものは発見しつくされていると思っていたらか、今になって「三の丸の遺構らしき石垣と堀」なんていう大それたものが出てくるなんて俄かに信じがたかったのだ。タワーマンションとかビル、地下鉄などの建設で地中深く掘っていたら、遺跡が出てきたというならまだ分かる気がするのだが、住宅地開発で?と思ったど素人だ。
そういえば、20年位前にフランスはボルドーでトラムが開業するという時に、「トラムよりも地下鉄のほうが良さそうなのにね?」と仏人オットに言ったら、「地下鉄にすると、工事中にローマ時代の遺跡とか出てきちゃって、出てくる度に調査で工事中断とかなって大変になっちゃうよ。」と言われ、ふーん、って感じで聞いていたんだが、、、今となってはふーんって流せないな!
この幻の城の遺構発見に対しての大津市の動きも早かった。その週の週末には現地説明会を開催するという発表があった。行きたかったのだが、きっと近隣からお城ファンが殺到するだろう。もしわざわざ関東から出向いて、説明会に参加できなかったら最悪だと思い、断念した。
説明会に参加された方のレポートは以下の城びとの記事を参照のこと。
と、前置きはさておき、大阪で1泊2日のランニングイベントに参加してきたので、帰京する前に電車で比叡坂本へ向かった。
坂本城は織田信長による比叡山焼き討ちの後に、明智光秀にこの地の支配を命じ、坂本城を築城させた。
坂本城の城郭構造は幻の城と呼ばれるだけあり不明であるが、昭和54年の宅地開発に伴う発掘調査である程度の構造がわかってきたとのことだ。
連郭式の平城?で、本丸が琵琶湖に面した水城だったようだ。
本丸の跡地は私有地となっている。
その脇道を辿っていくと、
琵琶湖に出た。そして、私たちが目にできる坂本城の唯一の遺構、本丸の石垣の礎石が水中に沈んでいる。
ほんの一部だけ石垣の石が湖面に現れている。
ごく稀にだが、琵琶湖の水位が低下すると、本丸の石垣が姿を現す。3年前(2021年)に、27年ぶりに石垣が姿を現した時は城好きが全国からその姿を一目見ようと続々とやってきた。そして、その写真がSNS上に溢れた。
詳細は城びとのレポートを参照のこと。
私はというと、、なぜか訪問するタイミングを失って、見逃してしまったのだ。
すぐそばの坂本城址公園には明智光秀の銅像が佇んでいる。
ちなみにこの公園は琵琶湖だった場所を埋め立てて作られている。
そして、市街地(二の丸・三の丸跡)には坂本城の石碑が置かれている。
で、そのすぐそばの宅地開発中だった場所が、今、話題の場所だ。
発掘調査中なので関係者以外は立ち入り禁止だ。
何も見れないし、立ち入ることはできないと分かっていたが、どんな場所から三の丸の遺構が発見されたのか、その場所の雰囲気だけでも知りたくてやってきた。
大人しく、近隣のご迷惑にならないようにさっさと回って写真を撮る。
当初は発掘調査後に埋め戻す予定だったが、大津市や関係各所の協力と理解で、これからは史跡として整備されていくとのことだ。
いつか、じっくりと石垣と堀、発掘された品々を見れる日が楽しみだ。
そして、本丸跡のそばには「明智塚」なるものがあった。
案内板によると、山﨑の戦いの後、坂本城落城の際に明智光秀の脇差の名刀などの宝物を埋めた場所、明智一族の墓所でもあるとかないとか。
次はゆっくり石垣の穴太衆、または比叡山焼き討ちに関連した旅でこの地を訪問したいと思う。
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