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加賀百万石、藩主前田氏の居城、金沢城 〜城内編〜 [日本100名城][石川県金沢市]


(2024年3月攻城)

前回からの続き。
加賀百万石、藩主前田氏の居城、金沢城 〜城外編〜 [日本100名城][石川県金沢市]


大手門(尾坂門)から城内へ入る。
正面の石垣に巨石が組み込まれているのが大手門の特徴だ。

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そして、直線侵入を許さない構造である。

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大手門の櫓台石垣。縦長の隅石が凄いな。

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櫓台跡はあるが、櫓や長屋が記載されている資料はなく、屋根付きの門があったとのことだ。



新丸から見た大手門跡。

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大手門を抜けると、広々とした見晴らしの良い区画にでた。新丸だ。ここは二代藩主利長が1599年に拡張した曲輪だと言われている。(だから新丸?)

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新丸の東側は越後屋敷、西側には作事所や下台所があった。また西側には南北に伸びる堀が大手堀に繋がっていたが埋め立てられたとのことだ。



新丸から三の丸方面を眺める。

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三の丸の石垣と堀。

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復元された河北門の櫓台の石垣と三の丸の石垣の違いが歴然だ。

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三の丸の石垣は自然石を積み重ねた野面積みだ。これも築城時のものだろうか。奥の白い土塀の石垣は積み方が打込接と異なっている。



三の丸の正門、河北門(復元)へ向かう。

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典型的な枡形門で、一の門、二の門を閉じたら敵は八方塞がりで逃げ場を失う。


三の丸から河北門の二の門を見る。見事な切込接の石垣だ。色もきれい。

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そして、三の丸跡。

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金沢城の搦手(裏門)にあたる石川門(現存!)だ。こちらも枡形門の構造である。

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櫓台の石垣は打込接のようだが、

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二の門の石垣は切込接だ。

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なので、多聞櫓正面と左側の石垣の積み方が変わっているのが面白い。そして、左側の打込接の石垣に刻印があるものがいくつか見られる。

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門を大きくしたとか何かしら後から改修したんだろうな。


城外から石川門を眺める。ここだけでも枡形門が現存しているって有難い。

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そしてやはり櫓や塀の出窓がいい味出しているんだよなあ。これは金沢城だけ?


また三の丸へ戻る。

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三の丸から見る二の丸の菱櫓と五十間長屋(両方とも復元)

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奥には橋爪門と橋爪門続櫓(両方とも復元)

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二の丸の菱櫓のお堀沿いを歩く。

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二の丸北面石垣

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三の丸、四十間長屋跡

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二の丸、裏口門跡

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二の丸の裏口門跡から、三の丸と北の丸をつなぐ土橋門跡へ向かう。この門も枡形の構造で、重厚な櫓門があったとのことだ。

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土橋があった場所から土橋門を眺める。


そして、二の丸の裏門の横にある曲輪の入り口にあるこの門は、

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切手門(現存!)

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二の丸の裏門石垣

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二の丸の横にある区画、曲輪跡に洋館がポツンと。

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数寄屋敷石垣

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数寄屋敷石垣と名前がついているから、この曲輪内には数寄屋敷があったのだろう。大奥があったとも。


ここの石垣の石はめちゃくちゃ刻印があるではないか。切込接で綺麗に石垣の石が整えられているので、改造築時のものか。

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石垣の石の刻印は担当した者や家などを表すという。こういうのを見ると、刻印を突き合わせるための資料とか残ってないのかなーといつも思う。


二の丸へ出る。

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二の丸と本丸附段の間には空堀があり、極楽橋を渡って移動する。

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本丸附段に佇んでいるのは三十間長屋(現存!)

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この長屋の石垣が切込接なのだが、石を縁取って整えているのが珍しい。この積み方、多分、初めて見たかも。


そして、本丸へ続く門跡(鉄門)

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本丸は後から行くとして、本丸附段から二の丸を眺める。ここに二の丸御殿があり、復元のための発掘調査が行われているようだ。

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近づいてみたが、シートが掛けられている。

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本丸の戌亥櫓石垣

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打込接の石垣

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と、反対側から見たら野面積みたいになっていて面白い。

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本丸の石垣(二の丸側)
野面積みみたいに見えるが、表面の石が整えられている。

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本丸の石垣も一部、今年の元旦の地震で崩壊していて、立ち入り制限されていた。


二の丸の正門、橋爪門(復元)へ。

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脇には、二の丸御殿の玄関に至る雁木坂跡。

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橋爪門も枡形門の構造である。

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石垣は切込接で積まれている。


三の丸から見た橋爪門(復元)

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この内堀も復元で、内堀の石垣も明治時代に積石が取り外されたため、五十間長屋の石垣などを参考に復元したとのことだ。

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三の丸側から見ると、石垣の積み方が異なるのがこれまた面白い。


三の丸から菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓(全て復元)を眺める。

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そして、三の丸と鶴丸の間、

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この場所には南門があった。


そして、名前は分からないが、鶴丸には城外に出る門跡があった。

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東の丸北面石垣。

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城外の東の丸東面の石垣が城内最古とあったが、この石垣も城内最古である。素朴な野面積みだ。


鶴丸倉庫(現存!)が置かれている曲輪の石垣。

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東の丸へ向かう。

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現存する江戸期城郭土蔵としては建築面積最大と言われてる鶴丸倉庫。

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鶴丸から東丸へも直接侵入を許さないように曲がりくねっている。

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東の丸の丑寅櫓跡。

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丑寅櫓跡からの眺め。

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東の丸跡は森林と化していた。

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東の丸にもう1つ辰巳櫓跡があるのだがアクセスできなかった。


そして本丸跡へ。ここも森林と化していた。

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本丸には天守が存在していたが、1602年に落雷にて焼失して以降は再建されていない。代わりに三階櫓が作られた。

櫓跡に向かうところに空堀があった。そして、明治時代に陸軍が作ったものと思われる洞窟?があるではないか。

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本丸の戌亥櫓跡。先ほど下から眺めた櫓跡だ。

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戌亥櫓跡からの眺め。

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戌亥櫓跡から見た本丸跡。

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先ほど見た本丸の鉄門跡から本丸附段へ。

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本丸附段から薪の丸へ向かう。

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この狭い道をくねくねと降っていく。

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薪の丸跡も鬱蒼とした森林だ。

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薪の丸の石垣を眺めながら、いもり坂を登り、再び二の丸方面へ向かう。

いもり坂は明治時代以後に作られた道路である。

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ちょ、ここの石垣の積み方に個性出てる(笑)こういう発見が楽しいんだよなあ。



二の丸と本丸附段の空堀跡に着いた。

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ここは二の丸への門、松坂門跡。

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松坂門跡から玉泉院丸の庭園を眺める。

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いもり坂を降って、玉泉院丸跡から三十間長屋(現存!)を眺める。

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玉泉院丸跡から二の丸の石垣を眺める。
奥にある色紙短冊積石垣も近くで見てみたかったのだが、立ち入り制限がかかっていたので断念。また次の機会にでも。

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井戸跡。

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玉泉院丸跡から見た二の丸の石垣。

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鼠多門(復元)から金谷出丸へ向かう。

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鼠多門橋(復元)

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鼠多門橋から鼠多門を眺める。

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金谷出丸跡はなんと尾山神社の敷地だった。

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きゃーっ!!これは前田利家公の銅像というよりも、織田信長の赤母衣衆時代の「槍の又左」じゃないの!!

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ということで、金沢城内攻め終了。


今回城内散策した経路
分かりづらくてすみません….



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