関ヶ原の戦い後に常陸から20万石で入封、佐竹義宣が築城した久保田城 [日本100名城][秋田県秋田市]
(2022年12月攻城)
ユナイテッド航空のマイル修業を兼ね、全国旅行支援の恩恵で秋田にやってきました。秋田にやってきた理由は、まだ未踏の地だったからというだけですが、、。
秋田といえば、関ヶ原の戦い後に常陸54万石から、出羽国秋田へ20万石で減転封した佐竹義宣が築いた久保田城ですね。関ヶ原の戦いでどっちつかずのような対応で不戦、その2年後に上洛して、家康に不戦を謝罪しますが、国替えとなります。というか、仕置きが2年も放置されていたんすね。
久保田城は佐竹義宣が出羽国秋田へ入封した翌年、1603年築城です。一部の土塁基底部以外はほとんど石垣を使わずに、天守も存在していません。
秋田駅から徒歩5分ほど、やってきました久保田城の大手門跡。
土塁があるだけで、門の形跡があまりありませんね、、。
お堀沿いに中土橋門跡へ向かいます。
久保田城の縄張り図の看板がありました。
中土橋門跡。
土塁が残っているだけですかね。
一旦、引き返し、穴門の堀を回り込むように、穴門橋跡、穴門跡(と言っても遺構はなく、住宅地だった)を通り、穴門の柳を横目にし、
千秋公園入口にやってきました。
久保田城址は今では千秋公園として、秋田市民の憩いの場になっているのです。
この直線侵入を許さない感じは、そう、門跡です。松下門跡で、ここが二の丸へ通じる門になります。
二の丸跡
佐竹資料館は残念ながら休館中でした。
長坂の階段を登っていくと、
そう、ここも門跡ですね。長坂門(二の門)跡です。土塁が見事ですね。
そして、表門(一の門)跡。本丸への正門になります。
本丸への玄関ともなるこの門、残っていた絵図や発掘調査を元に復元したもの。
その左手には、御物頭御番所(現存)がありました。
城の登城者を監視し、警備にあたる物頭が詰めていた建物です。
こうしてみると何だかタイムスリップしたかのような風情ですね。
そして本丸へ。
本丸は表門から入った正面に玄関が置かれ、藩政がとり行われる政務所、そして本丸御殿がありました。
正門のちょうど反対側にある埋門跡。
そして、本丸を取り囲んだ土塁の上には多門長屋がありました。
多門長屋跡から秋田市内を見渡すことができます。久保田城は平山城だったのです。
そして、要所には隅櫓があり、この復元された御隅櫓は、本丸の北西隅、最も高い台地にあったとのこと。
隅櫓の中は資料館になっていますが、残念ながら閉館していて中に入れず。
こちらの土塁に上にも多門長屋があったとのこと。
帯曲輪、菖蒲園からの眺め。
いやはや土塁の見事なこと。いい土木工事されてますね。
ここなんかも、見事な土塁にうっとりしてしまいました。
二の丸跡に戻ってきて、正門方面を眺めます。
そして、
裏門跡を通って、一旦城外へ。
お堀を横目に、
神社への参道が不浄門跡でした。
不浄門跡を抜けると、厩、馬場跡、そして金蔵跡ですが、何も残っていません。
そして、土門跡に向かい、外に出たり入ったりの行って来いです。
土門跡を抜けると、また門跡が見えてきました。
帯曲輪門跡です。
そして、本丸跡に戻ってきました。
こちらは御殿から見えていた庭園を復元したものでしょうか?それともただ公園だから池を作ってみただけでしょうかね?
隅櫓、、木が邪魔できれいに見えない問題。
帯曲輪門を抜けて、本丸を後にします。こちらは門を抜けたあとにある帯曲輪跡です。
本丸と隔てる土塁がこれまた見事です。
いやあ、とにかく久保田城の見どころは土塁ですね。いい土木工事されてますよ、圧巻。
資料館や移築門など、今回見れてないところがありますのでいつか再訪しますよ。そして、佐竹氏の移封前の常陸の城(太田城)にも行かないとね。
因みに、久保田城址の後は美術館へ向かったのですが、そのそばに、、
江戸まで6日間で往復したという伝説の狐さん、与次郎の像がありました(笑)
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