『伝習録』(でんしゅうろく)を知る④:読書と講演会、解読力と認知の拡大

王陽明は龍場悟道(りゅうじょうごどう)の後、
「天下のものは本来、格付け可能なものはない。その格物(※1)の功(※2)は、身心にのみ行われる」と述べました。
王陽明は、「世界のすべての事物は本来、善悪の区別がありません。本当に格付けできるものは、物事そのものではなく、自分自身の身心に時間と労力を掛けるべきである」ことを強調しています。私達が自分の心の本質が本来聖人の体であることを理解し、心に格物の功を用いて努力すると、聖人の境地に達することができ、志向と責任を持つことができるということです。

※1:格物(かくぶつ)とは、物事の道理や本質を深く追求すること。
※2:功(こう)とは、掛ける時間と労力のこと。

また、“心即理”という観点を定義しました。
心は一切の外的権威から自由になって新しい天理を発見する、という説であります。後世の学者が王陽明を学ぶと、聖人や英雄になるために外に出て探す必要はありません。いわゆる聖人の道は、実際にはそれぞれの人の心に内包されています。常に外部に理を求め、基準を求め続けることはすべて間違っています。これが王陽明心学の核心的な見解です。
これらの見解はすべて『伝習録』に記録されています。

『伝習録』(でんしゅうろく)の、書名は孔子の《論語》(ろんご)学而(がくじ)編の〈伝不習乎〉に由来しています。
『伝習録』の「伝」の字は、師が学生に知識を伝授することを指します。「習」の字は、学生が師から伝授された知識を学習し、復習するだけでなく、最も重要な実践することも含みます。
したがって、
『伝習録』は、学習方法や学んだ知識を実践に移す方法を示しており、自己をより高い修養を持つ人間に成長させるための手引書と言えます。

『伝習録』は、『論語』のような形式で、学生が質問し、王陽明が答えるというスタイルです。
この形式を通じて、認識の拡張が展開されます。
また、いくつかの書簡も含まれており、内容が非常に豊富です。

自燃人、不燃人、可燃人とは


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?