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無題

あまねさんのライブを観に行った。

音楽がすきなのはいつものこと、わたしは親しくなればなるほど素直に褒めるのが苦手になる。お互いを盟友と言い合う友人、大槻美奈に相対するときもいつもそうだ。大槻の音楽が大好きで、本当にすごいと思っていて、どん底の時に何度泣いたかわからない。ライブでどれだけ力をもらったかわからない。でも、好きになればなるほど、素敵だと思えば思うほど、それを口にしたらいけないような気がするのだ。

わたしは自分のことが好きだと思うけど、とても自信がない。ただ、自信がなければいけないと思う。小学生の夢は総理大臣。当時はコンピューター部の部長に学年成績最優秀で表彰され、選挙管理委員長とかしてた。それからいくばくかの挫折を経験したけど、やっぱりリーダーに必要なのはブレない自信だ。それだけは常に意識している。

だから泣かない。わたしの愛しい子供たちが粗相をしたら代わりに謝るし、時には氷のように厳しいことも言う。そうしないといけないから。

好きなものに好きと言えないのは、その覚悟があるからだとも思う。

素敵なものを好きと言ってはいけない。それは制作する側にとって当たり前のこと。覚悟を決めるのは当たり前のこと。音楽メディアにいた頃、仕事として何度も肌で感じて、社長にご飯に連れてってもらった時にそれは痛切に思ったのだった。「一番好きなアーティストとは会わないようにしている」と語る彼のまなざしを、わたしは忘れることができない。

でも、大槻は別に離れていかなかった。大好きで大好きで作品をどんなに大好きでいても、それをうっかり表明してしまったことがあっても、彼女にとってわたしが大切な友達でいてくれたことが嬉しかった。

何度か勝手なことを言って喧嘩したり、勝手に絶望したことはあったけど、それは作品を介さない普通の友人関係と同じ重みだった。不安に思ってるのはいつも勝手なわたし自身だ。

ほかのアーティストの友人とはどうだろうか。うまくいかなかったのは最初から合わなかっただけではないだろうか。音楽があれば会話できると思ってた。絵があれば嫌われないと思ってた。でもそれは、100人いたら100人分の関係があるということと等価で。

本人はひどく気にしていたようだったけど、expop!の日のあまねさんのライブは本当に素晴らしかった。最近観に行けてなかったし、遊びに行こうとしててもお互い忙しくてみたいな感じだったので超久しぶりだったけど、本当にわたしの大好きなものが沢山あって、脳天から足元まで大好きが駆け巡るような衝撃で涙が出た。今年観たすべてのライブの中で一番暴れた。

わたしはそれを多分一生直接言うことはないけど、それでいい気がする。

ことばというのは、何も言うだけがすべてではない。口にしないほうが良い美徳もあれば、口にしないほうが伝わるものもある。わたしはひどく言葉に固執しすぎるあまり、具体化されたなにがしに拘り過ぎていた気がする。

それは自分がいじめられていたときに親から暴力での対抗を禁止されて口喧嘩で対抗していたことや、ライターとして働いたことがあるからかもしれない。プレスリリースを書くといつもアーティストの友人に褒められたり感謝される。本当にありがたいこと。でもだからって全てじゃないからね。

そう思えてよかった。いい夜でした。

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