Let's Go To Bed / The Cureに関する一考察

多分、これ、ネイティブ・スピーカーたちに聞いたところで、意味不明な話ってのはある訳で。

てのは、ネイティブ・スピーカーだって、生まれ育ちも違えば、しかも、音楽やってる人間が、物凄く「プライベートな事を、書いた当人にしか分からない意味合いで書いてる」ような歌詞を英語(米語ではないという意味)で書かれたら、チンプンカンプンの意味不明になるのは、ままあることで。

初期の David Bowie の歌詞など、難解なダブル・ミーニングとか、下手すればトリプル・ミーニングの塊だ。それをビジネス米語しか知らない日本人に見せたって訳せるはずがない。外語系大学の学生なんて尚更だ。70年代や80年代の女子学生が、バイトで訳してるようなものが、まともな訳から遠く離れるのも、致し方なかったのではないかと思う。

だって、ロックなんてのは、そういう意味で、育ちの悪い下々の壮絶なスラングに満ちてたりする。それも、80年代当時の文化・風俗も踏まえて考えないと訳せない言葉、ってのがあったりする。

何を言いたいのかというと、最近、インプレ稼ぎで海外の曲を必死に翻訳している人たちが増加しているが、その人たちが、ネタ切れで80年代の楽曲まで翻訳を始めた事に対しては、些か、冷ややかな目をもって眺めているからだ。

だって、それは80年代の日本盤の解説書にくっついていた歌詞の翻訳がやらかしたような事を、拡大再生産でネット上に垂れ流しているようなものだから。つーて、私がやっている翻訳ってのも、どこまで正確に訳せているかは分からないし、所々間違いもあるのかもしれないが。

少なくとも、インプレ稼ぎのネタになりそうな1曲だけを取り上げて、それを訳したつもりになる人よりは、はるかにマシだと思っている。というのは、その人の考え方や、言葉遣い、生まれ育ちに迫る位で無いと、翻訳なんてのは、まともなものになり得ないから。日本の学生が通り一遍に訳しただけでは、意味さえも汲み取れないような話もあるだろう。

例えば、私が訳した「Let's Go To Bed」ってのは、未だに意味不明な表現が並びまくっている。

まずは、Stupid Game って言葉なんだが。

これ、80年代の英国のバンドの歌詞を、幾つも翻訳してみると分かるのだが、似たような Game という言葉が彼方此方で出て来る。どうも、これ「バンドで有名になって商業活動をして、売り上げを競い合ってること」を、そんな風に言ってるっぽいんだよね。

そうすると、Let’s Go To Bed って、これまで何か意味の分からないイメージの羅列だったはずの歌詞が、The Cureの当時の活動状況に対して、物凄く遠回しな暴露話をしてるような歌詞に化けてしまうのである。

こうした事を、当時の海外事情をよく知ってる人達や、当時のインタビュー記事などを読んだ人たちとディスカッションしながら翻訳する試みを数年前に試した事があるのだが、恐らく、これ、当時、ロバートがドラッグにも手を出してた頃の歌詞だよね、という部分にも行きあたる。

Through the right doorway and into the white room
It used to be the dust that would lay here when I came here alone

Let’s Go To Bed

何も知らないネイティブ・スピーカーがこの歌詞を見たって、表に出ている意味からは、そんな言葉は微塵も感じ取れない。ストレートに訳したら何のこっちゃって事になるけど、キーワードは Dust って言葉。この言葉を敢えて使った意図です。これ、ドラッグのスラングだもの。

当然、こんな訳は普通の辞書にはまともに出てこない。それどころかGoogle翻訳でも、DeepLでも、こんな危険な単語は翻訳になどしてくれない。それこそ、当時の日本の大学生が、そんな単語など訳せるはずもないし、真っ当な大学卒業の優等生が訳せるような単語ではないのだ。

当時の世相や、風俗や、インタビュー記事も当たった上で、彼らがどんな状況に置かれていたかもわかった上でないと、全く読み下せないっていう話。

ああ、そういえば、当時のイギリスのバンドって、レコーディング最中からキメながら演奏やってたって言ってたっけな・・・into the white room って、これもまた意味深だわ・・・

いわば、これは、大手レーベルから音源を出す上で「表向きは、何のこっちゃ、って、当たり障りのない言葉になってる」だけのことで、実はファンとかみたいな熱心なフォロワーには、とんでもない内情暴露みたいな赤裸々な歌詞になってるってことです。

まあ、それで取り締まりが厳しくなったのだが、今度は90年代初頭にハウス・ミュージックとかテクノ方面にまで、そういう動きが蔓延した訳ですけど。

もう、この曲辺りになってくると、もう隠そうとしてないもんね。
歌詞でも本気で、僕、キメてます、とばかりに露骨に歌ってるもん。

シラフの人に出せない様な、奇妙な浮遊感ってのは、結局のところ、そういうことなんだけどさ・・・そりゃ、日本の若手ミュージシャンが、こんな音をやろうとしたって、普通に出せないのは当たり前なのであるけど。

当然、世界中で、こうした動きは厳しく取り締まられての、今、現在ということでもあるんだけど。だからこそ、この時代の音楽、とかの歌詞の翻訳って、今の若手の子が小遣い稼ぎで上辺だけ翻訳しようとしたって、意味不明の歌詞になって、日本人がそれを見たって、そんな曲聴こうとも思わないだろうし、無理がありますよね、って事でもある訳なんですが。

かといって、それを本気でダブル・ミーニングやトリプル・ミーニングや当時の世相風俗、スラングまでコミコミで訳したって、実にデンジャーな歌詞になってしまう訳で、お行儀のいいいい子ちゃんからしてみたら「えええええええ」になるだろうし。

何よりも、ダブル・ミーニングやトリプル・ミーニングの、表の意味や裏の意味まで全部含めて、一つの歌詞カードになんかできるわけがない。この文章みたいな壮絶な解説書付きで、表の歌詞と、裏の歌詞を並列で書くようなことになってしまいかねない。

はて。今の日本人の男の子や女の子で、歌詞を「日本語のストレートで分かりやすい平易な言葉」でしか学ばなかった子たちが、そこまで深く読み取れるのだろうか・・・

ぶっちゃけ、歌詞翻訳一つ取ったって、向こうでは大学論文だの卒論のテーマにすらなりかねない、ってことの重みって、本当に理解されているのだろうか?ってことについて、今の日本人は、少し軽々しく考えすぎているんじゃないだろうか?ということについては、苦言を申し述べておきたい。

インプレ稼ぎに、ちょいちょいと歌詞を翻訳してみようか、なんて安易な考え
で、また、そういうデタラメ垂れ流されたら、マジでまた世界から5周回遅れくらいの差を付けられることになりかねんよ・・・。

今回の The Cure 翻訳だって、結構、賛否両論覚悟でマジモードで翻訳してるもの。それも35年級のファンで、それが高じて、英米文学専攻にまで行っちゃった人間が、音楽やった上でないと訳せない部分も踏まえて。

When you're ready
So do we… is it two verses and then…
No, Lol, no
This is a good intro!

Foxy Lady / The Cure

冒頭のくだらないバンドメンバーのおしゃべりで、この曲をどんな風に演奏するかって喋ってるのよな。しかも、ジミヘンの曲を、ロバートが歌わないで、ベースのマイケル・デンプシーに歌わせてやがる。

けど、その後の演奏聞くと「あー、納得」である。

Two Verses って音楽用語だもん。英語での音楽用語知らなきゃ、当然、この曲なんかも訳せるはずがない。

Foxy Lady も、ここまで細かく訳すべきかなぁ・・・とか、今、マジで悩んでるんだよ。

当然、歌詞対訳の難しさってのは、今の常識で、是非を問えない部分も含めて、そこに、きちんとした理解があっての事か、ってことを問われる訳だ。

今、自分がアメリカに住んでて、米語ベラベラだからって、1980年代の風俗とか文化も踏まえないで、今の自分の常識と英語力だけで安易に訳したらダメなんだよ、ってこと。

そして、多くの日本人は、何で、この文章で英語米語ってわざわざ使い分けてるのか、って事さえ理解できない程度の英語教育しか受けてないのだから。


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