刹那の情報に埋ずもれて

しかし。

ブラウザのブックマークが溜まり過ぎたので、昨日辺りから整理した所、この10年位で、如何にネットの論壇が薄っぺらくなったか、手に取るようにわかる。

まず、それ以前に、この10年位で書かれていた記事の7割近くが消滅してるんだよな。だから、後になって参照しようにも、殆どがBlogごと消滅してるので、何がしかの資料としては、ほぼほぼ役に立たない。

ブックマーク溜まり過ぎた人は、同じように試してみれば分かるだろう。

笑えるくらいにあちこちのBlogは消滅してるし、恐らく、その人たちが執筆に費やしたであろう相当量の時間と手間はドブに捨てられたようなものだ。

2004年ぐらいから、あれほどBlogだBlogだと騒ぎまくって、各所に置かれた情報ホームページを駆逐していった姿は、もはや見る影もない。

寧ろ、ここまで節操も無い情報の垂れ流しと化してしまった日本のネット産業には、かなり辟易せざるを得ない訳で。

正直、もはや、日本語ネットは商業都合のゴミ情報の山と化しているに等しい。

記録媒体としては、致命的に役に立たないってのは証明されたようなものだ。

そもそも『金になる価値のある情報だけが選別されていく』みたいな知性のかけらもない歪んだメディアが文化であるはずがなかろう。

今、自分たちが信じ込んでる、数年前に読んだはずの情報も、大部分は、再度、検証不能の情報になってるやもしれん訳で。

例えば『音楽無快楽症』というテーマについて。私が一番最初にそれを知った記事は消滅していて、今は、これに置き換わっている訳だが。

https://academic-accelerator.com/encyclopedia/jp/musical-anhedonia

音楽無快感症は、音楽から喜びを得ることができないことを特徴とする神経学的症状です。この症状を持つ人々は、音楽失認に苦しむ人々とは異なり、音楽を知覚して理解することはできますが、楽しむことができません。研究によると、この症状を持つ人々は、音声処理を担当する皮質領域と報酬に関連する皮質下領域の間の機能的接続が低下していることが示されています。

https://academic-accelerator.com/encyclopedia/jp/musical-anhedonia

つまり、音楽を聴いても何の感情も示せないのは、脳の機能低下、という定義が為されていたのだが、これを検証すると思った時に・・・

そうした論文も書籍も、日本には全く存在していない事に気づく。

日本の大学においても、そうした研究は放置状態で、海外の論文があってもまともな翻訳も研究も為されておらず、海外の情報を単なる話題のネタとして、一時的に面白半分に消費しただけに過ぎない。

少なくともこの20年以上、そうした基礎研究に類する事は、日本では一切、自発的に行われていないのだから、国が衰退するのも当たり前だろうし、知性が極端に失われるのも道理であろうとは思う。

目先の金になる話にしか飛びつかない訳で、長期的なヴィジョンを持ってない。文字通り昆虫のような生き方。

貴重な記事は、やはり英語サイトの記事を頼るしかない。例えば、これなんかは、The Smiths の名ギタリスト、ジョニー・マーの研究をする時には欠かせないものの一つだ。

『クイーン・イズ・デッド』のリズム・トラックを作ったとき、ギターをスタンドに置いたままだった。たまたまワウペダルが半分開いていて、ギターを置くと突然ハーモニクスが鳴り出したんだ。それでテープをレコードに戻しながら、私はブースに忍び込んで『死ぬな、死ぬな!』と思いながらワウを開け始めたんだ。やがてペダルを開けると、『うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ』 そのままキープ。大事故だ。

上記ブログの一部を翻訳

つまり、あれ、録音しようと最初から狙ったわけじゃなくて、たまたま中途半端な状態で放置されていたギターから鳴りだした音がどえらくカッコよかったから、慌てて録音して音源に重ねたという。それを指して『待て!頼むから、そのまま鳴り続けろ!大事故だ!』と騒いでる光景なのだが。

こんな面白いエピソード、The Smithsファンならずとも、音楽ファンにとっては面白い話なんだと思うが。

全ての音楽のフレーズやパートや音は、制作者の意図で作為的に作られたばかりでなくて、一部は、ある種の偶然や事故によって、たまたま奇跡の瞬間を捉えたものも存在している、ということだ。

日本では、音楽制作の現場で、こんな面白いエピソードを聞いた事が少ない。全ての音楽が『キッチリキチキチ真面目に演奏したもの』であって、偶発性で面白い効果を捉えたものが少ない気はしている。

ジョニー・マーの面白いとこは、たまたま偶然に鳴り出したノイズを、そのまま録音に残そうとしたこと。

そりゃ、日本人がいくらそれを『ぎゃあ!カッコいい!』と思ったって、それを作為的に作ろうったって、真似できませんがなw

あれ自体が偶発的な事故なのに。しかし、何と綺麗なノイズwww

偶発的に発生したこれを音楽の中に組み込もうとしただけで、とんでもないセンス。この人は、自分の曲に乗っかったノイズまで、音楽の一部として捉えていた、って事になる。これが生真面目な日本人のエンジニアやギタリストなら、そんなノイズの存在自体、認めようとしないだろう。

しかも、曲の中でまで、うっすらそれを使って。

おいおいおいおい!

あんた、それ、ボリューム使って、レコーディングされたノイズを延々と曲の中で使用して、それを入れたり切ったりしてないか!?


うわ、この人やっぱり20歳とはいえ、やることなす事、天才だわ・・・

これを初めて聞いた10代の時、何だこれは!と思って、ずっと疑問に思いながら。

ネット時代になって、海外文献調べたら、案の定、レコーディングでこういう面白いことやってたので、いつか検証しようと思って残しておいたものの一つ。

日本の記事、ここまでキッチリ文献なんか残してないもの。

だから、昔々の80年代のインタビュー記事が貴重だと言ってる。あの頃の音楽インタビュー記事、そういうアイデアの宝庫だった訳で。

今の若者たちは、そういう『音楽の作り方』だけでなく『レコーディングの時の様々な実験やアイデア』がどんな風に行われていたのかを、さっぱり知らないまま、音楽制作に向かっているから、キッチリキチキチした決め事でしか、物事を処理できない。

こういう話知ってるだけで、音楽制作は、数百倍面白くなる
というのにね。

行き詰まって『卒業』とか言い出してる人達が、寧ろ、底の浅さを暴露したようなものだという事さえも分からずにいる。

本当に、今のネットの情報って『役に立つものなのか、どうか』キッチリと判断していかなきゃいけない時期に来ているような気はしている。20年も経過しているというのに、逆に人間が退化しているかのような錯覚にさえ陥る事はある。

確かにAI時代は、これからやってくる。

けれど、今の日本人の多くは、AIに淘汰されかねないレベルの情報しか扱って無いような気がしてならないのだが。


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