#10 恋庭で学ぶ「楽しむ!」のススメ(その1)
「許す!」と「楽しむ!」
前回のチャプターでは「許す!」のススメについてつらつらと書かせていただきました。
今回は、話の筋を整頓するために敢えて前回は書かなかった「楽しむ!」という部分について、またまたつらつらと思うところを書き出してみたいと考えています。
「許す!」と「楽しむ!」は、本来表裏一体のものです。
楽しさは「許す!」が完了したときの余裕やゆとりから生まれるものとも言えますし、許しは「楽しむ!」が感受されたときの余白やあそびから生まれるものとも言えます。
強いて言えば、「許す!」は「楽しむ!」と比べるとやや消極的、受動的な表現だと言えるかもしれません。
まず何かネガティヴな感情や感覚があって、それに対して向き合う。そして、その後に主体的な動作として「許す!」を選択する。
消極的・受動的ではあっても、あくまでもそれは主体的なものである、というのが「許す!」のススメのチャプターで最も肝要な部分でした。
これに対して「楽しむ!」は、より積極的、能動的な表現です。
「許す!」の動機が先に自分の前に用意されたネガティヴな感性であるのに対して、「楽しむ!」は自分自身で動機を探す作業そのものであると、僕は思います。
なんだか抽象的なことばかりブツブツと呟いてしまいましたが、要は「楽しむ!がないと許す!もできなくね?」「モチベーションなくならね?」という話です、今回は。
(望ましい)結論を先に書いておくと、「楽しむ!」の本質が掴むことができれば、その瞬間に「許す!」は我慢とか忍耐ではなくなる、ということが言いたいのです。
「許す!」は手放すことであり、決して強く握りしめることではありません。
力を抜いて、のんびりできるようになることです。
それを可能にするのが「楽しむ!」という主体的な価値観なのです。
なので、まずは恋庭における「楽しい!」について、少し詳細に検討してみましょう。
恋庭の「楽しい!」ってなんだろう?
ここではまず「ゲームとしての楽しさ」と「人との関わりとしての楽しさ」に大別して考えてみましょう。
「ゲームとしての楽しさ」は、文字通りゲームの目標としてデザインされた項目を達成していく楽しさです。
庭が整備され、図鑑が埋まり、資材が貯まり、オブジェが強化され、GPが上がる。
アバター衣装を揃え、新たなピピと出会い、それを使ってロールプレイを楽しんでみたり、楽しげで美しい画面をスクリーンショットに残す。
ガチャを引きまくる。
そしてTwitterなどで共有、発信する。
個人的には放置系ゲームの醍醐味の一つには「数値のインフレ」という本質的なものがあると思うので、これも重要な「楽しさ」です。
アバチケとか貯まるの楽しいですよね。
難しいのは、これらの「楽しさ」であったはずのものが、あるラインを超えた途端「義務感」みたいなものに変質してしまう現象の存在です。
GP1位を守らなきゃ……!とか、効率よく収穫しなきゃ……!とか……
この義務化現象を回避するための特効薬としても「許す!」のススメは使えると思います(宣伝)。
さておき、自分がゲームシステム上のどの部分に「楽しさ」を感じるのかを認識しておくことは、この後に続く「人との関わりとしての楽しさ」をより高品質にしていくためにもとても有意義なものです。
アバターの収集やお着替に最も楽しさを感じている人は、同じくアバターについて語ったり盛り上がったり衣装合わせができる人と関わることで、その楽しさはより主体的に、より劇的に、より濃厚になっていくはずです。
GPランキングを駆け上ったり1位の座を守ることに最も楽しさを感じている人は、同じく効率プレイやオブジェの強化について語ったり作戦会議できる人と関わることで、同じくその楽しさを1次元上のものにできるはずです。
雑談や会話を楽しみたい!という人はそれこそもっとシンプルですよね。
人と関わること、新しい人と出会うこと、気が合う人と仲良くなること、それ自体が楽しさとして成立しているわけです(なお、恋活・婚活目的の方はこの楽しさを前提として、もう少し戦略的なアプローチが必要になるというか、楽しいだけでは話が済まなくなるのでここでは割愛します……御免ください)。
その際のコミュニケーションの手段として、例えば衣装合わせやオブジェ強化の作戦会議が使えたりするのですから、やっぱり恋庭のゲームシステムは上手いこと出来てます、ほんと。
この他にも、楽しみ方は実に多種多様!
おそらくゲームデザイナーも想定していなかったような未知の楽しみ方もまだまだ鉱脈として眠っているはずです。
恋庭の「楽しくない」ってなんだろう?
一方、「楽しむ!」という主体的な動作の話をする前に、「楽しくない」についての考察は避けては通れません。
しかし、これは「楽しさ」「楽しい」と比べると、非常に定量化しにくい部分です。
結局、「楽しくないときが楽しくないとき」みたいな表現が一番本質に近いのではないでしょうか?
ゲームの進行が停滞したり、GP上位者との差が埋められないほどに広がったり、溜め込んだアバチケ・金銀チケで大爆死したり、フレンドさんと冷めた空気になったり、変な人に絡まれたり、そもそもマッチングがうまく行かなかったり……
求めている楽しさが得られないとき、それが「楽しくなさ」「楽しくない」である、と言ってしまって良いのではないか?と思います。
付け加えると、「楽しくない」と思っているうちは集中力が恋庭に向いているわけですから、まだ状況は絶望的ではありません。
本当に厳しいのは「飽きた」ってなったときかな……?
ともあれ、逆に言えば、これらの停滞や逆風を「まぁいいか」と流せたり、それ自体を「やってやるぜ!」みたいなモチベーションに転換できるなら、それはもうほぼ無敵のスター状態ですね。
この状況を意図的に作り出すためのヒントも「許す!」のススメで(以下略
とにかく、「楽しくない」のツボを自分でちゃんと押さえておくことができれば、モチベーション管理はグッと楽になるはずです。
ゲームの進行が停滞したときは「最近詰まってるんだよね」という話題のコミュニケーションを楽しんでみたり、コミュニケーションが停滞したときは黙々と自庭を強化してみたり……そういう代替・折衷案も十分ありえます。
「楽しくない」を考えることは、そのまま「楽しい!」を考えることにもなる、ということです。
そしてまた、「楽しむ!」を考えるということにもなります。
まとめ
今回のチャプターでは「許す!」と「楽しむ!」の表裏一体の関係性、「楽しむ!」の前提にある「楽しさ」「楽しくなさ」について概観してみました。
次回「#11 恋庭で学ぶ『楽しむ!』のススメ(その2)」では、具体的に「楽しむ!」についてまとめてみたいと思います。
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