ff煎とそのパロディを経て思うこと

さて、前々回前回のあと、書く予定のなかった話ができました()

#atgt2023ff 8匁の勇者待ち時間に湧いたEX2~5と、なぜか煎後に追加されたEX6~13のオペレーターをしていたRenです。
そのあたりの経緯は、パロディ煎のエンドシートの最後に手記がありますのでご参照ください。何言ってるかわけわかんない内容だと思いますが、私にもわけわからんことが起こってましたので。


さて。ff煎とそのパロディをやったことで、ff煎前に書いた前回の記事から状況の変化がありましたので、そこに触れておかなければと思いました。
時系列順に行きます。

まずff煎。3×3ピースパズルとピザ塔で甜菜を取りました。あんたがた側8回目(tmpを入れれば9回目)にして初です。あんたがたに参戦してからだと3年かかりました。
そういえば今年の2月には謎解き日本一決定戦Xの最終予選会場にいました。
2020年3月時点で「全体戦て何?」って言ってた人がですよ。
3年て長いですかね。学生さんからしたら長いんでしょうが、人格と環境に変化が少なくなって久しい自分の時間感覚だとあっという間でした。でもどうやら成長はしていたようです。元が無い分伸びしろはあったんでしょうね。というか明らかに育てられてますよね。ちょっとね、近くに神とかいるせいですかね。門前のアラフォー、習わぬ謎を解く。なんか違うな。まぁいいか。

何が言いたいって、「甜菜が取れないから楽しくない」という発言に説得力がなくなってしまったかなぁと思ったわけです。でもどうだろう。嬉しかったけど、思っていたほど「楽しい」って感じではなかったかもしれない。ピザ塔に対してのツイートを貼るとき、心臓バクバクして全身ブルブル震えてなかなか思うように作業ができなかったんですよ。本物の甜菜は、自信と確信を持って颯爽と駆け抜けていくんじゃないのかなって。そうであってほしいという願望かな、これは。

次、パロディのほう。ほんと、前回の記事で書いたとおりのことしてますね。偽物のまま沸かすぞっていう。笑っちゃうくらいそのまんまです。
atgm鯖の皆ならノってくれるという確信はありましたが、言い出しっぺではあるわけだし、やってたことはほぼメインGMのおしごとでした。5/29(月)の早朝に書いていたメモが残ってましたので参考までにスクショを置いておきます。


でも、これだけは触れておかなければならない。

「GMが透けてるから楽しめない」って書いたけれど、パロディのほうは「GMが透けてるからこそできた」っていう事実を無視できない。
檜原村勇者待ちのときのGM側の状況、GM鯖のVCが聴こえてるんじゃないかってほどに想像に容易かったんですよね。それは本当にもう……心が痛かったです。
そこで、いま自分にできることは、って思ってしまったんです。それが正しい行いかどうかなんて考えてなかった。よく思わない人もいるだろうっていうのは想定内です。でもそんなのはお互い様では? と。

前回の記事で触れた、省エネ煎~秋刀魚煎で感じていたことを踏まえて、#atgt2022_tmp、#atgt2022Xmini、#atgt2022revengeが起きたときにずっと考えていたのは、「私がしてきたことは何だったんだろう」「あんたがたが求めているものは何なのだろう」ということでした。
私はそれまで、作問もデバッグもシステムもデザインもガムテを貼る旅もできない自分は、完璧な煎を作ることを理想として事務サイドから全面バックアップして、GMとあんたがた双方それぞれで人的な、あるいは法的なトラブルが発生するリスクをできるだけ低減させて、煎全体の円滑進行とクオリティを上げることを矜持として実動してきました。go煎が最たる例ですね。
でも、2022年末の3つを見たとき、そこにあるものは違った。コンプラよりも、1つ1つの出来よりも、全体のバランスよりも、GMとあんたがたが瞬発力だけで持ちつ持たれつで繋がって続いていく様子は、私の存在意義に疑問を投げかけました。
「外向きになってしまっている以上、外向きでもトラブルの無い状態にしなければならない」(トラブルのあった例:#atgt2020の17匁スキップ、トラブルの温床になりそうな例:#atgt2021の八丈島一般人からのガムテ苦言)、また「あんたがた人口を増やしてあんたがたを継続させるためには、強謎クラが内輪だけで楽しんでいるものであってはならない」(Lite煎開催のコンセプト)と思って努めていたのに、どうやら他みんなそうでもないらしい。
コンプラで窮屈になるくらいなら内輪だけでわいわいしてたいんじゃないの? 今北にも答えないし? 解き筋をツイートしないまま(わからない人を置いてきぼりにしたまま)先に進んじゃうし? GM人狼してメタで解こうとするし?
謎界隈の様々な平均値から遠いところにいて、あんたがたのGMの他に界隈での知り合いがほぼ皆無の私がやってきたことがあんたがたに求められていないのなら、私は今後何をしたらいいの? 何をしたいの?
……って。そりゃなりますよ。

そこへのアプローチの仕方として、HB煎でのCOがあり、そして、ff煎パロディでの「クオリティよりも個々の完成と楽しさを求める」という方向性がありました。


次はどうなるんでしょうね。
まぁ、たとえ失ったとしても、私は元居た場所に還るだけなので。
謎解きを仕事にしたいとかしてるとか、生きがいを見出してるとか無いんで。
……そういう、「懸けられる」人たちには、絶対に追いつけない。

それでも私を受け入れてくれた「あんたがた」が持っている、緩い受容のポテンシャルこそが、もしかしたら私は一番好きなのだと思います。
平たく言うと、何でもありのお祭りであってほしい、という願いですかね。
だったら、小難しいことを考えるよりも、GMをやってようがあんたがた側だろうが、ただひたすら楽しめた人が優勝なんだよなって。
“常にその「楽しさ」をお膳立てする側に立つ”というのも、また1つのあり方かもしれないですね。

最後までお読みいただいてありがとうございました。


HB煎解説のラス匁シートにも書いた、『Blessing』の歌詞をもじったもので締めたいと思います。


Blessings for your birthday
Blessings for your everyday
ここに集えた奇跡にありがとう

これから先も あんたがたに幸あれ

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