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信じるとは?信仰とは?
信じたいのに信じれませんと言われる方がいます。
信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。ロマ10:16
信じられないからと、すぐに諦めないで『キリストについてのみことば』を聞き続けてみてください。そうすると神様が恵みをくださって信じることができるようにしてくださいます。
あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。エペ2:8
聞いた時に自然と信じることができました。と言われる方がいます。本当に神様の恵みです。神様が恵みをくださって信仰をプレゼントしてくださったのです。
今週はアブラハムの信仰を黙想していますが、アブラハムも信仰がすぐに与えられたのではありません。信じたと思った後にも何度か不信仰しています。
しかしアブラハムは自分にくださった契約(約束)を黙想し続けていたのです。その当時はテレビもスマホもありません。一日中、羊を見ているような生活です。
アブラハムは神様の天地創造、そして人間の原罪、神様の契約を黙想し続けていたのです。それをどうして分かるかと言うと、その当時は創世記がありませんでした。アブラハムがイサクに、イサクがヤコブに伝えたからこそ、何百年か後にモーセが創世記を書くことができたのです。
子どももいない自分なのに『すべての民族はあなたによって祝福される』というのはどんな意味だろう?最初は信じられなかったので甥のロトを連れていきました。しかし黙想を続ける中で信仰が生まれてきたのです。
アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。ロマ4:19~21
堅く信じるとは確信を持ったということです。
私たちは自分自身を見て騙されます。『できない』『私には無理』と思ってしまいます。また世の中の『現実』を見て、できないと思います。私を通してすべての民族が祝福される…とても遠くの話に聞こえます。また『偽り』の父であるサタンの惑わしで騙されてしまいます。
しかし私が信じている神様は『すなわち死者を生かし、無いものを有るもののように』できる方です。アブラハムは、イサクを殺して全焼のいけにえとして捧げても神様は生き返らせることができる方であると信じました。アブラハムは神様の契約は必ず成就されることを信じたのです。
サタンは『私にはできない』と騙しますが、みことばを聞きながら神様のみことばを信じる恵みが与えられますように。
神様はその信仰を喜ばれるのです。
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。ヘブ11:6
ありがとうございます(*ˊ˘ˋ*)献金は新宿キリスト教会を通して一度も福音を聞いた事のない99%の方々に福音を伝え、7000専門指導者を探し、逃れの町の教会を立て、レムナントを育てる働きに用いさせて頂きます。アブラハムの祝福があなたに臨みますように。