見出し画像

3週間の空白<その6> ようやく自宅へ

保健所の指示によるホテルステイは5月10日で終了し、その日のうちに自宅に戻りました。しばらくしてから、noteに新型コロナ闘病に関するレポートを掲載しているユーザーが何人かいらっしゃることに気づきました。私と同様に自宅療養のちホテル療養となった方もいて、それらのレポートを読みながら、そうなんです、経過が長引くとつらいですね、味覚が戻らないのがじれったくて、など共感すること多数。
そして、非常事態宣言の前後で社会環境がうねるように変わっていき、それに巻き込まれた当事者としての悲喜も感じました。

■13階のない建物

思えばあっという間の2週間(正確には12日間)でした。退館日の朝の10時すぎ、いつもと変わらぬ殺風景なロビーに降り、内線電話で事務局の方に退出することとお世話になったお礼を云いました。輪行バッグに詰めた衣類やほかの荷物の重みでよろけそうになりながら、エントランスを出ました。迎えにきてくれた家族に手を振ってクルマに乗り込むと、ホテルの小さな窓からいつも見ていた景色がどんどん遠くなっていきました。

どうでもいい話なのですが、このホテルにはどれくらいの人数がステイしているのかを退出の前日に考えました。滞在初日、食事を取りに行ったときにざっと見渡した弁当箱の数は190程度。最近は弁当の数も減った様子で120くらい。日々の出入りはあるとしても徐々に減っていたのかと。
この場合のホテル稼働率はどうなるか、総室数は何室なのか、と考えて、弁当抱えて自室に戻る時にエレベーターの階数表示を数えてみました。

・・ 8 9 10 11 12 14 15 ・・ 

え。13階がない。
13階には客用エレベーターは止まらない、ということなのでしょう。欧米式の価値観。建築的な面で考えると、13階は設備専用フロア(ポンプ室とか)なのかなと思います。

■締めのPCR検査

自宅に戻り、地元の保健所から連絡を受けました。療養が終わってから1回だけPCR検査を行う(区の判断で実施するもの)とのことで、5月11日に前回と同じ総合病院で検体を採取。
病院の救急外来担当医師から連絡があったのは12日の夜、夕食を食べ終わった頃合いでした。PCR検査結果「陰性」との結果が伝えられ、結果を知って正直ホッとしました。

翌日の午前中に保健所の担当者から健康確認の電話が入ります。体温と体調を伝えて、昨日陰性判定が出たことを話しました。
「陰性が出てよかったですね。これまでの経過が長かったですものね。」
そして「実は保健所にはまだ判定結果の情報が来ていなくて。陰性の場合は、病院からこちらに連絡入るのがかなり後のことが多いんです。」とも。
うなずきながら、勤務先に提出するので検査結果の通知書を送ってほしいと伝えると、申請書式をメールで送るので記入して返信を、とのこと。通知書が手元に来るのは2週間程度かかるらしい。

検査数や感染者数の実績データの集計が大変、なぜなら医師が手書きの報告書をFAXで保健所に送るというアナログ伝達になっているから、という話が新聞にも取り上げられていた気がします。こういうのも含め、ICT使って情報共有してちょうだい、と思います。実際に大阪府や埼玉県では、サイボウズのkintoneをつかって新型コロナに関する情報共有プラットフォームを作り、活用しようとしているので。



■体調OK、体力は・・・

ホテルステイしているときはずっと部屋に閉じこもっていたので、活動量が少なかった次第。
これまでは毎日の通勤や仕事で日に1万歩近く歩いていたのに、4月中旬からは日に400歩くらい。ホテルステイ中はおそらく日に200歩が関の山。
自宅に戻ってからしばらくして、ちょっとした散歩もつらいほど体力が落ちていることに気づきました。

職場の総務・人事担当者にひさしぶりに電話し、PCR検査のことを含めた状況を報告。体調は回復していて、マインド的には今週後半から仕事したいのですが、思った以上に体力が落ちてしまって、と正直にうちあけました。たしかにそうなりますね、と理解をしめしてもらえ、仕事復帰時期は職場の産業医に相談したうえで社内で検討する、ということになりました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?