褒めマウンティング

 Backroomsとは何か。ゲームなのか、映像作品なのか、芸術なのか、3DCGデザイナー学科の卒業制作なのか。Wikipediaを読んでもよくわからない。YouTubeの映像を見る限り、窓のない黄色っぽいオフィスや廊下の無機質な空間を歩く、というストーリーもあるようなないような感じだ。様々な部屋があるが代わり映えせず、共通の基本ブロックの組み合わせで作られているように見える。それが自己増殖しているような不気味な印象がある。出口はない。どうしてこんな映像が作られ、主に授乳の際の注意点を参照する日本の中年男性のYouTubeアカウントに頻繁にリコメンドされる程度には流行しているのか、全くわからない。これが時代についていけなくなるということか、と悲しくなった。しかし若い人らの間で何か深刻なことが起きていることだけはわかる。
 心の奥のどこかをくすぐられる感じがある。新しくて懐かしい感じがする。このなんともいえない感じを楽しむもの、と私なりにBackroomsを解釈した。この解釈でよければ、Y世代の私は幼少期から現在に至るまで折々Backroom的なものに触れてきた。というより曝されてきた。映像が喚起するなんともいえない感じは、現実の生活の中で感じるものだ。それは時代が下るほど、感じることが多くなってきた。今は感じない方が珍しい。
 九十年代のまだ性能が低い頃のゲーム機の3DポリゴンのRPGをやったことのある人なら、その感受性は既に開発されていると思う。演出意図ではなくハードの性能限界がもたらす窒息感の中で、何時間も変わり映えしない景色の通路をぐるぐる回らされ、ことあるごとに長いローディング時間の暗闇の中で待たされる時のあの感じ。中古カセットの中で今も低解像度、低フレームレートの老賢者や怪物が何万年、何億年も待っていることを想像した時のゾッとする感じ。しかし、たまに訪れて永久に彷徨っていたいような気もするような……。そんなものは気取ったZ世代の九十年代カルチャーへの憧憬か、くたびれたX世代向けのノスタルジーだ、と一蹴されてしまえば確かにその通りだが、もし上記のような単に3D空間の悪夢の再現をBackrooms的と定義するならば、九十年代のビデオゲームのHalf-LifeやDoom、女神転生などのプレイ動画でも要件は足りるはずだ。しかし、それらはBackroomsと呼ばれていないし、Backroomsの名を冠したそれらのパロディも存在しない。しかし静止画で見る以上、両者は近いものに見える。
 Backroomsは現実を記録したものだ。そこが新しい。生身の人間がムービーカメラを回しながらバーチャルな環境内で行動し、視聴者は視点人物が録画した素材をのちに編集したビデオテープとしてそれを眺める。いわば映画『ブレアウィッチ・プロジェクト』のフォーマットをそのままに、暗い森という環境をビデオゲーム的な空間に移し変えたものだ。あくまでもフルCG作品であるため、現実らしく見せるための要素はCGで処理されている。カメラの手ブレ、レンズの画角の歪み、音割れするチープなマイク、機器のテストなど不必要な数秒間の映像、うっかり入ってしまった仲間の声、VHSのノイズ、強引かつ下手な編集など、無機質な空間に生命の揺らぎを加えている。だから一見古いビデオゲームの映像のようでありながら、妙な生々しさと既視感がある。
 動画の終盤、巨大な迷路のような廊下に突然、黒い影が素早く横切り、不気味な叫び声をあげる。主人公が怪物に追われ、殺されるというパターンはどの動画も大体共通している。黒い影の怪物は、人間のようで人間ではない。身長が四メートルくらいある。発狂しているように見える。笑っているようにも、泣いているようにも見える。明らかに怒っている。よかった、まだ大丈夫、という気がする。俺も丸いメガネかけて良いか?

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