学習性無気力について

こんばんわ、いつも通りのREMINです。

最近自分はもしかしたら"学習性無気力"というものが100はなくても60ぐらいは入ってるんじゃないかなと思い始めてます。

学習性無気力というのは簡単に言うと、自分がいくらやろうがいくら足掻こうが、成功した試しがないために
「自分にはきっと向いてない」
「自分はそんなこと出来ない」
と思い、思うだけならいいものの、本来できるだけの能力があるのにバイアスがかかったせいでやろうとしない状態のことです。ほんとにざっくり。

僕は割と何でも1度はやってみようと思って経験をすること自体はかなりしてる方だと思うし、知らないことは出来る限り浅くでも知ろうとしてる方ではある。と思う。

ただ、もしかしたら本来なら出来るはずのことを早々に見限ってしまってダメだと決めつけている可能性がでてきた。

例を挙げるなら、自分はてっきり面接がめちゃくちゃ苦手だし、なんなら人生で数える程の面接で済むように生きてきた。
けど、実際はちゃんとできているにも関わらず自分が細かいとこを気にして
「ミスしたから終わりだ」
「こんなんしてる意味はあるのだろうか」
となっているのかもしれない。

もちろん持ち前のあがり症がすぐ出てしまうのも理由の一端だとは思うが、それにしても熱が入らん。

そう、熱意が自分の中に見当たらない、かつ、かなり無気力なのではないか?

そうであれば自分の性格で説明できることが幾つかある。

人にあまり文句を言ったりしないのは「人に言っても無駄」だと思うから。
他人を優先するのは「自分の意思は人にとって意味の無いもの」だと思うから。
やろうとしても全くやらないのは「こんなの無理、出来ない」と思ってるから。

確実にそうでは無いかもしれないけどかなり考えていても自分の中に明確なやりたいことが見当たらないし、漠然としか持ててない自分は何も成し遂げずに死んでいくかもしれない。

浅く広くやるのは悪いことではないかもだけど、あまりやってないのに出来ないとほざいてる自分は、案外人の役に立つことも少ないのかもしれない。

けど、結局これが自分の生き方だし変えられないよなあ、これがめちゃくちゃ悪いかと言われると他人の考えを柔軟に受け入れられるのとかはこの諦めがあるおかげだし。

なんかしんみりしちゃったけど、出来そうなことは出来る限りやりたいよね。熱意は無いけど知的好奇心だけで生きてきたんだからどうにかなるの、かも。

休みの日に乗ったGRヤリス

締めにGRヤリスでも貼っときます。
すごい楽しかった、今度は山道しっかり走りたいな。

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