自分の作品を伝える文脈をデザインする

先日、録画しておいた新日曜美術館の安藤忠雄特集を見ていました。2000年前後に建築を学んだ自分にとっては、安藤氏は特別な人で、ディテール集を買って何度も読んで憧れた人物です。その作品も興味深いのは勿論ですが、動画を見て気づいたのは、「元プロボクサー」「シベリア鉄道で建築旅に出る」という20年前に既に著名だったエピソードが今も繰り返し語られている事。つまりこれは、安藤の作品、つくり手である安藤の文脈を伝えるのに最適なエピソードとして、使われ続けているのです。これは改めて自分にとって色々と思い返されました。

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先日、ヴァージル・アブローの『ダイアローグ』という本が面白かったと書きましたが、この本の中でもヴァージルは自身が、ものをデザインすると同時に「威光(ヘイロー)」をデザインしているんだと語っています。そして、対話相手に、「それってあなたの作品を理解する文脈の事ですよね」と聞かれて「イエス」と応えています(すいません。記憶で書いています)。

この話と繋げると、安藤忠雄氏にとっての「元プロボクサー」「シベリア鉄道で建築旅に出る」というエピソードは、自身の作品を伝える為の、ヴァージルの言葉を借りれば、「威光(ヘイロー)」を生み出すための要素なわけです。

そして、そのエピソードを繰り返し語り続ける事で、我々は、あったことが無い安藤氏のパーソナリティを想像し神格化していく。。。これは分野に限らず、自身をブランディングしていくための王道的方法のひとつなんだと思います。

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また、最近、欧米でも注目を集めるfalaという建築家が来日して、東工大と藝大でレクチャーしました。彼らは、以前より日本の70-80年代の住宅建築を参照していることを公言していたり、SANAAで働いたこと、中銀カプセルタワーに住んでいたことを公に語っています。

彼らの作品は、そのグラフィカルな操作でも注目されていますが、我々日本人からすると、そこに垣間見れる「篠原一男」や「坂本一成」の影を見て、作品と同時に、その参照の文脈をもって作品を理解しようとしているわけです(むしろ仕向けられている??)。

勿論、falaの建築に対する情熱に疑いはありませんが、自身の作品をただモノとして伝えるだけでなく、その背景にある「文脈」を同時に伝えようとする戦略も熟慮されていると感じます(そういう意味でも、彼らが今回、東工大でレクチャーしたというのは、凄く意味がある事だと、私もfalaの立場を考えると思います)。

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こういうことって、ぼく自身も言語化してきませんでしたが、無意識に行っていることは多々あったような気がしています。それを振り返ると、色々な場でのレクチャーや対話の中で、「このエピソード響いてるやん?!」みたいな実感を感じて、取捨選択する中で、この話を言えば、「後藤とはこういう人物である」という事が伝わりやすくなるエピソードが明確になっている感じがあります。

僕の話で言えば、
「iPhoneが生まれる前(約20年前)から、ネットで発信していた」
「設計実務を組織と小規模事務所で行い、その苦労を経験し、独学で編集者になった」
という2点は、他者にはない自分の独自性を伝えられる文脈だと思っています。

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そして、ぼくは建築学を研究していた経験もあるので、この「自身を伝える”文脈”をみつける」という事に再現性があるのかという事も考えてしまいます。

言えるのは、やはり過去を振り返るしかないという事。それは意図的に作る事も出来るかもしれませんが、その出発点が古ければ古いほど、そこに納得感や歴史を感じさせる事が出来るわけで、そういう視点では、過去を振り返って、自身を表現するエピソードを探してくるのが合理的なように思います。

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