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僕は僕になれなかった

小学6年生の頃だったと記憶しているが、国語の授業の一環で「自分のいいところ」というテーマで作文を課されたことがある。今考えてみれば、「自分に『いいところ』があるか」に焦点を当てさせるというのはいささか冒険的だとも思うが、幸い「自分にいいところなんてありません」という声もなく、クラス全員が作文を提出した(はずだ)。

私は当時、英検準2級を受けようとしているときか合格した後か、という時期だったので、「自分のいいところは英語ができることです」という小癪な作文を書いた。今の私が担任だったら、イヤな生徒と思ったことだろうと思う。しかし、当時の私はあくまで純粋だった。逆に言えば、それ以外に自分の自慢できるところはないと思っていた。

その作文の中で、英語を学ぼうとする理由として「将来、英語を使って世界中の人と話して、世界で活躍したいから」というようなことを書いていた。実際に、社会に出た私は海外営業職として英語を用いて多くの国の人々と日々やり取りをしはじめた。小学生の頃に思い描いていた自分の職業像とは差があるものの、外観としてはある程度近いのは事実だ。

さて、場面は変わって先日のことである。

出張先のホテルに入り、部屋で飲むためのお酒でも調達しようとエレベーターで地上に下ろうとしたところ、同じエレベーターに、30代と見られる外国人男性と、60代と見られる日本人男性が乗り合わせた。私を含めたこの3人は、それぞれが全くの他人、初対面である。

二十数階から下るエレベーターは、それなりに時間を要する。すると、日本人男性が、ふと外国人男性にカタカナ発音で話しかけた。

Where do you come from? (どこから来たの?)

外国人男性は、突然のことで一瞬驚いた様子だったが、すぐに笑顔になって答えた。

Germany. (ドイツだよ)

すると日本人男性、すかさず足でボールを蹴るしぐさをして、「ベッケンバウアー」と日本語で笑った。もちろん、ドイツ人男性もそれを見て微笑んだ。

中学1年生でもできる英会話だ。しかし、私はこの日本人男性に敬服した。真に「英語で世界中の人と話す」というのは、このようなことを言うのではないだろうか。仕事でどれほど専門的で難しい英語を使っていても、それは単に必要に迫られているだけだ。私はエレベーターで、Helloの一言さえ出なかった。

ただ私は恥じ入る。英語で話す自分を夢見ていた、幼い頃の私に。

(文字数:1000字)

……決して無駄にはしません……! だから、だから……!