見出し画像

終戦記念日に思う - No. 5

今年の3月初めに、とある方から、ロシアによるウクライナ侵攻に関する原稿の執筆依頼を頂いた。インターネット上で、軍事情報をまとめている独自メディアの運営者であるという。依頼のきっかけとしてはこのnote以外に考えにくいが、結局最後まで、その方が私のnoteを読んだことがあるのかどうかを知る機会はなかった。

累計で十数本の原稿を納品している。その間、「軍事系メディア」というものに、言い知れない違和感を抱き続けていた。今でも明確な答えは出ていない。しかし、「軍事を娯楽の話題にしていないか?」という疑問が根底にあったのは確かだ。もっと直截的にいえば、「軍事に関する素人の記事で、金儲けをしているのか?」ということである。分不相応ながら、私は依頼者から少なからぬ執筆料を頂いており、その元手はメディアの収入であることにはほぼ間違いない。

しかし、そんなことを考えながらも、私は依頼を受け入れた。その背景に、自分の文章が認められたということの充実感があったことは否定しない。そこへ加えてよいのであれば、「そのようなメディアに記事を書くことは、より広く不戦・平和を訴える機会ではないか」と考えたのもまた事実だった。

それは、あるいは依頼者にとっては不満だったかもしれない。「この兵器は、これだけのものを破壊できる」と書かずに「これだけのものが破壊される」とし、「この戦闘によって何人が亡くなった」ではなく「何人の命が奪われた」と記した。戦争は、人を殺すものである以上に、人が殺されるものなのだということを、どうにか表現したかった。

日本は、「唯一の被爆国」と自称しながら、核兵器禁止条約の議論に参加する姿勢すらない。日本と同じく先の大戦の敗戦国であり、米国の同盟国であり、欧州最大の米軍基地を持つドイツが、オブザーバーとして同席した議論にさえである。数えきれない国民の命を奪われ、生活を損なわれた当事国である日本が、なぜそれほど消極的になる必要があるのか。いや、日本とて、結果的に敗戦しただけで、その過程で多くの人々を殺したのである。その自省は、今や失われたのか。歪んだ被害者意識だけ持って、実質的な議論から逃げるのか。

平和ボケ、といわれる。

しかし、私は思う。

平和ボケではない。ピンボケだ。77年の時を経て、大切なものに焦点が合わず、向くべき方向が分からぬままに、知らず知らず来た道を引き返そうとしてはいないか、と。

(文字数:1000字)

*気づけば、拙稿「終戦記念日に思う」も5回目となりました。誰に求められるでもないこの独自シリーズ、過去の投稿もご参考までに。
2018年 終戦記念日に思う
2019年 終戦記念日に思う - No. 2
2020年 終戦記念日に思う - No. 3
2021年 終戦記念日に思う - No. 4

有効に使わせていただきます!