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遠き山に陽は落ちて
北へと下る新幹線の車窓を眺めていると、胸が高鳴るよりも締め付けられるような感覚に陥ったのは、不思議なことだった。東北の寂しげな風景が視界を流れてゆく。
私は東京で生まれた。両親も東京生まれである。幼い頃に父の転勤で引っ越した仙台で、高校卒業までを過ごした。今に至っても仙台という街に愛着があることを否定する余地はない。しかし、出身を聞かれるとき、必ず私は「生まれは東京ですが中学・高校は仙台でした」と答える。間違った情報ではないが、どこかごまかしている後ろめたさがないわけではない。実際に、私がどのくらい仙台にいたかを正確に伝えたことがある相手は、一人しかいない。もっともそれは一昨年の年末のことで、その人もそのような些末なことを覚えているはずもないから、家族以外は知らない事実と言ってよいだろう。
つい出身を曖昧にしてしまう要因はいくつかあると考えているが、それを挙げることに意義は感じない。心の中では仙台が好きなのに、それをそうと言えないひねくれや弱さがあるということに集約されるだけのことだ。
話を新幹線の車中に戻そう。感染症対策のために間隔を空けた乗客配置になっている指定席車両では、微かにどこかでPCのキーボードを叩く音が聞こえるほかは、ただ車輪がレールを滑る音が響くのみである。自社工場への出張に向かう私は、昨晩のうちに届いていた顧客からのメールに応えつつ、やがて近づく懐かしい景色を心待ちにしていた。
東京駅を出発してから1時間40分ほど経った頃だったろうか。私を乗せた「はやぶさ」号が仙台駅へと入った。眼下に広がるペデストリアンデッキ。高校時代に歩いた記憶が鮮烈によみがえった。高校を卒業して以来7年ぶりの駅前広場だった。
仙台駅は新幹線が2分間停車する駅である(私はこのことを西村京太郎の小説で知った)。その間に、私はスマートフォンのみを持ってホームに降りてみた。少年の日の香りがする。東京から来た親戚を駅で見送るときの心寂しさを思い出す。ひとつ深呼吸をして、再び新幹線へと戻った。
発車メロディが流れる。
――違う。
私が仙台に住んでいたときと、違うメロディだった。7年はそれ程の変化をもたらしていた。
それから更に北へと下る新幹線の車窓を眺めていると、胸が高鳴るよりも締め付けられるような感覚に陥ったのは、不思議なことではなかったのかもしれない。そして再び東北の寂しげな風景が視界を流れていった。
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