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新聞と心情と

不要不急の外出は避けるように、とはいえ、仕事があれば出張の予定が入る。私個人が避けようと思っても、相手方が快く思っていなくとも、致し方のない場合はあるのが現実だ。

出張先で宿泊するビジネスホテルでは、朝刊が無料配布されていることが多い。文字通りビジネス客をターゲットにする中では、それだけ新聞の需要があるということだろう。私もその一人で、新聞が配布されていれば部屋に持ち帰ってざっと目を通す。もちろん、全国ニュースを読み飛ばすことはないが、個人的によく読んでしまうのは地域面である。宿泊するホテルによっては地域紙が配布されていることもあって、その場合には私にとっては読みどころ満載なのだ。

特に、「全国的には重要度が低いけれども、その地域にとっては大きなニュース」というものを目にすると、自分自身の知らない世界を知ったような気がして、知的好奇心をくすぐられる。地域に根差したお祭りの中止・延期のニュースであれば、そのお祭りの歴史を調べてみたいと思うし、漁・猟の解禁に関するものには食と自然の関わり合いを感じることができる。

また、曜日などによっては、短文が羅列されている「おくやみ」の記事を目にすることもある。著名人や財界の重要人物の訃報を伝える死亡記事とは異なって、端的に事実のみが形式に従って記されている。ただ、私の性格上の問題なのだろう、そのような短く無表情な段落の中に行間を見出そうとして、自分勝手に寂しさを慮ったりしてしまう。ご遺族の方々からすれば余計なお世話なのだろうと思う。

1000字の間に話が次々に展開して恐縮だが、「おくやみ」と言えば、間もなく祖父の九回忌を迎える。一般に、九回忌には法要はない。しかし、年が変われば回忌・周忌が交互にやってくる。そうして故人を悼んでゆけば、毎年心が通うではないか――、と書きつつ、それが遺族、そして故人にとって幸せなことであると思うわけでもない。遺族が故人を忘れることはないが、法要がないことには経済的な面も含めて意味がある。故人にしても、いわば“最前線で”いつまでも悼まれるのは心地よくないのではないかという気もする。

出張だけにとどまらず、おくやみ欄への感情移入にせよ、親族を悼む気持ちにせよ、私個人が避けようと思っても、相手方が快く思っていなくとも、致し方のない場合はあるのが現実だ。一個人の心の「不要不急」くらい、このご時世でもせめて許してほしい。

(文字数:1000字)

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