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弱さと正しさ
年明け早々の通勤中のことである。
松葉杖を衝きながら、一人の男性が電車に乗り込んできた。やや混みつつあった車内は、その人のために通路を空ける。暗黙の了解で優先席へと導くその様子を、近くの席に座りながら眺めるともなく眺めていた。
すると、男性は突然声を上げた。
「おい、立てよ。こっちは松葉杖なんだからさ」
怯えたように優先席から立ったのは、小柄な女性であった。年頃は私と大きく変わらないように見えるから、20代後半といったところか。こわばった顔つきで、逃げるように私の目前まで移動してきた。男性が堂々と優先席に腰かけたのが、乗客の隙間から見えた。
本を読んでいた私であったが、一連の光景を目にして、そんな読書欲も失ってしまった。まだ心が落ち着いていないらしい女性の様子を、うかがってみる。トートバッグを左肩に掛け、その手で小さな紙袋を持っている。そしてどうにか吊革を握ろうと伸ばした右手は――、明らかに義手であった。両手に手袋を着けていて、一見するとそれと判断することは難しいが、腕の動きで私は直観した。
大学時代に、とある経緯から身体障害の方と接する機会を得た。難聴、全盲、車椅子。その中に、義手利用者もいた。日々の困難と生活の工夫を聞き、深く思いを致したものである。
その場には、「障害者」という語が否定的な印象を与えるなどという浅薄な言葉遊びは存在しない。彼らも口々に言っていた。「わざわざ『身体が不自由』と言い換える必要はない」と。自由な身体の定義などない。自力で空を飛べない私たちは、その不自由を補うために飛行機を使うのだ。その論理のどこに、車椅子の場合と異なることがあろうか。
ようやく吊革をつかんだ女性の右腕が、小刻みに震えていた。力が入りにくいようだ。まして満員電車である。
彼女が優先席から追い出されたときから気にかかっていたが、その様子を見て私は遂に心を決めた。
「この席、どうぞ」
席を譲るのは善い行為だと分かっているが、いや、分かっているからこそ、少し照れくさい。ただ、女性は不要な恐縮や遠慮をすることなく、「ありがとうございます」と座った。それがやけに心地よかった。私が義手に気づいたことを、彼女も気づいたのかもしれない。
それでも、自分が「いい人」を演じてしまったような気がしてこそばゆくなり、まだ何駅も残っているその電車を途中下車した。この段に至って、松葉杖の男性の行動の是非はもはや論じまい。
(文字数:1000字)
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