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日常を取り戻すのは私たちだ

ニュースなどでしばしば目にする「行政指導」であるが、非常に日本的な制度であると評される。大学では「行政法」という分野で学ぶことが多い。簡単に言えば、「強制力のある命令ではなく、行政が依頼・要求ベースで働きかけること」となるだろうか。

たとえば近隣に対して不都合のある建築があった場合に、初めから行政が「強制的に取り壊します」というのではなく、「~なので、解体してくれますか」というように伝えるようなものである。言われた側としては、「放置していてもいずれは強制的な命令が出そうだ」と判断して、自発的に是正することになる。法律がカバーできていない部分の穴埋めや、複雑な手続を踏む手間が省けるという利点がある。

素直に受け取ってしまえば腑に落ちるが、それまで「法律の根拠なく公権力が私人に介入することは不適切」という理解をしている法学生は多く(それは正しい)、意外にもつまづきやすい部分ではある。また、上の説明で行政指導の内容を網羅できるものではないので、奥が深いのは事実である。

昨日、首都圏・北海道への緊急事態宣言が解除された。これで、全国すべての都道府県において国としての緊急事態は切り抜けたという意味になるのだろう。第二波の流行に注意をしつつ、不自由ない日常が戻ってくればと思う。

さて、緊急事態宣言発令下でしばしば行政が口にしていた「外出自粛」「営業自粛」の要請も、行政指導の一環としてみることができよう(厳密には学説による)。不要不急の外出をしたからといって、罰せられることはない。要請に背いて営業した店があったとしても、店名の公表などの措置はあれ、そのレベルにとどまる。海外諸国の規制からすると緩い束縛だったといえよう。自発的な自制心が結果的に事態の収束へとつながったのだから、日本特有の行政指導文化の結実だったのかもしれない。ただ、それは住民の気質と忍耐によるものであって、決して今回の政策の成功であったということはできない。政治的迷走は多かった。

これから、日常を取り戻すために徐々に自粛要請の緩和がなされる予定だ。観光目的(いわば不要不急)での県をまたいだ移動も、8月1日をめどに認められる計画となっている。

遠く離れた人々がまた触れ合うことのできる日が、一日でも早く安全に訪れるといい。小さな画面で顔を合わせても、冷たい受話口で声を聞いても、その人の香りや温もりは決して感じられないのだから。

(文字数:1000字)

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