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ビジネスホテル・カンツォーネ

国内出張では泊りがけとなることも多いため、営業職に転職して以降は各地の駅至近のビジネスホテルに宿泊する機会が急激に増えた。

夕食を顧客や同行者などと摂ることは多いものの、出張先で独りで過ごすという夜もある。会社から支給される宿泊費用や日当を考えれば、そう贅沢できるものでもないが、それでもホテルの部屋で楽しもうという気が起きてくる。

ある時は、部屋まで配達してくれるというピザの出前を注文した。

ビジネスホテルの狭いテーブルからはみ出るピザの外装をバランスよく配置し、チェックインの前にコンビニで買っておいた缶ビールを冷蔵庫から取り出し、更に部屋に入った直後に同じく冷蔵庫に入れていた部屋備え付けのグラスをテーブルに置き、いよいよ一人のピザパーティーの始まりである。

まずはビールを一口。いや、グラスに入っている分を飲み干すのに「一口」もないか。とにかく喉を冷たいビールが勢いよく通ってゆく。

クウーッ。

五臓六腑にしみわたるとはこのことか。ビールにスパイスなど不要だが、一日中慣れない街で仕事をしてきた疲れが、ビールの旨味を何倍も深めてくれる。この快感は、清流のそばでいただく緑茶では味わうことはできない。パンダを眺めながら飲むウーロン茶でもまだ足りない。カナダでドライな性格の人と飲むジンジャーエールでは到底及びもつかない。クリスマスに買ってもらった甘いシャンメリーでもこれほどの幸福感はない。仕事の疲れとビールの組合せこそ、この世に存在するあらゆるコンビネーションの最頂点である。

こうしていよいよピザを口に運ぶ。敢えて豪華なピザは注文しない。マルゲリータのようなシンプルなトッピングで十分だ。口いっぱいに広がるチーズ。トマトソースの甘味。そしてかけすぎたタバスコの殺人的な辛さ。その全てが相俟って、味気ないビジネスホテルの部屋はいつしか高級イタリアンレストランに思えてくる。グラッツィエ。

もちろん、私はワインの存在も忘れてはいない。ピザを注文した直後に、急いで階下のコンビニへと急ぎ、白ワインの小瓶をちゃんと購入している。赤ワインはキライっ。渋いんだもん。

こうして、私の出張の夜は更けてゆく。しかし、ここで終わりではない。飲んでいる間の記憶をなくしかけても、翌日はまた仕事である。夜明けとともに支度をし、キリっとビジネスマンに変身する。これこそが、社会人の嗜みといえる。

おそらく目は真っ赤であろうけれども。

(文字数:1000字)

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