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私がTwitterをやめた理由、noteを続ける理由

日々の忙しさに追われ、全く気付くこともなかったが、私がnoteに投稿を始めてからとうに丸2年が経っていた。以前、ブログサービスに登録したこともあったが、なかなか要領がつかめずに、ほとんど投稿をすることもなく退会してしまった。そう考えると、noteでの利用開始2年というのは個人的に感慨深くもある。

そもそも、インターネットを調べもの以外に使うこと自体が少なく、FacebookやInstagramなどのアカウントも持っていない。その中で、利用したことがあるSNSといえば、LINEを除けばTwitterのみである。そこまで考えてみて、ふと思い出したことがあったので、少し書いてみようと思う。

私がTwitterのアカウントを取得したのは、大学3年生の冬だったと記憶している。就職活動をするにあたり、他の就活生の情報を入手するのに適しているという話を聞いたためだった。実際に、「2017年卒業予定の就活生」という自己紹介をしてみると、同じようなプロフィールのフォロワーが確かに増えてゆく。要否はともかくマナー観念が働いて、もらったフォローは返すようにしていた。

周囲よりも長引いた就職活動がやっとのことで終わった頃には、フォロワーは300人を超えていた。私が「内定をもらった」旨のツイートをすると、何十件もの「いいね」が付いたものである。ただ、それを喜ぶには、当時の私はあまりに疲弊しすぎていた。大波乱の就職活動に対してというよりは、Twitter上に時々刻々と流れてくる人々のツイートに対してである。明らかに誤っている情報に対する無分別な同意。字数制限を言い訳にするようにして無根拠に書かれる、断定的で偏った私見。そして形成されていく「常識」。うまく使えば便利であろうTwitterだが、私にとっては秩序なく流れ込んでくる濁流のようだった。

そして私は、就職活動の終了を機にTwitterを退会した。それからしばらくは、現実の生活の慌ただしさの中に身を置いて過ごしていた。しかし、一度知ってしまった「見知らぬ人々の存在」がないことに、不意に寂しさを感じてしまった。

こうして行き着いたのがnoteだった。心苦しいながらもフォロー数を増やさないのは上述の経緯からである。ただ、フォロワーの方のnoteは折を見て必ず訪れるようにしていることは、念のため書いておこう。

3年目の景色を、皆さんとともに色づけていきたい。

(文字数:1000字)

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