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The GAIA Family〜神々と人類の共生


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2011.3.11の東日本大震災は、千葉から北海道南部まで5、6か所に区分された全域にプレート損壊が広がり、気象庁や地震学者は「想定外」と言いました。平安時代前期869年5月に起きた貞観地震級の地震は、その後の東北一帯で400年〜800年の周期で断続的に起こっていたにもかかわらず…

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東日本大震災による東電原発事故の当初、NHKをはじめテレビや大新聞などのメディアに毎日出演し「大した事態ではない」「水蒸気爆発だ」などと解説し、多くの「想定外」を積み上げた結果、地元民の避難が遅れ大量被曝の惨劇を招いたのは、それまで「原発の安全神話」を作り上げてきた、二流、三流学者の成れの果ての御用学者たちだったことが半ば明らかになっています。

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今なお頻繁に続く東日本大震災の広域の余震は、今後まだ10年は続くとされ、東京・横浜周辺にまでその揺れが伝わることで、関東大震災規模の地震が誘発されないという保証はどこにもないのです。数万年、数十万年という単位の地殻・地層データは、46億年という地球年齢から見た時には、言わば〝現在進行形の日常生活〟の範囲内と言っても過言ではありません。

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時間軸同様に地球規模の自然現象は、空間軸においても人間のスケールを越えています。日本から見ると遥か太平洋の彼方の海にバヌアツ共和国という島国があります。太平洋プレートとオーストラリアプレートの境界にあって、日本と同じ環太平洋火山地帯に位置するバヌアツ共和国で大きな地震が発生すると、数日後に日本でも大地震が起きるという同期性(coincidence)は「バヌアツの法則」と呼ばれます。

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2021年2月に福島県沖を震源とするマグニチュード7.3、最大震度6強のかなり長い揺れの地震がありましたが、その4日前にバヌアツでM7.7の地震が起きていました。2016年の熊本地震では4月14日の前震のあと4月16日に本震が発生しましたが、この時もバヌアツでM6.7の地震が、8日前の4月6日と7日前の4月7日の2回発生しています。2012年3月の三陸沖北部(襟裳岬南東沖)のM6.8の地震の時も、5日前にバヌアツでM6.7の地震が起きていました。日本から遥か彼方の島国で起きた地殻変動が、太平洋を遥々越えて日本列島直下の岩盤にまで影響を及ぼすなどとは想像もできない人類にとっては、これはもう人知を超えた神の怒りとしか思えません。

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プレートテクトニクス理論により、地震の地球規模での解明が進むその一方で、欧米の最先端の地震学研究の分野では人間活動が誘発する地震、いわゆる「人造地震」の研究が進んでいます。海底地震計の開発や地震のメカニズムの解明で国際的に高い評価を得ている世界的な地震学の権威でありながら、その真実を探究する研究姿勢により冤罪で国策逮捕されたこともある国立極地研究所の島村英紀博士は、ダム建設、鉱山、地熱の利用、石油掘削、原油や天然ガスの採取、地下核爆発、二酸化炭素の地下圧入などの人為的な生産活動や開発によって、我々人類は図らずも巨大地震を誘発していると警鐘を鳴らします。

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1960年代にNASAで働いていた英国の科学者ジェームズ・ラブロックは、地球を「ひとつの生命体」と捉え、ギリシア神話の地母神ガイアの名前に由来する「ガイア仮説」を提唱しましたが、当初は学会では全く相手にされず、単なるトンデモ科学だと異端視されました。しかし、地球科学や環境学会での研究が進むにつれ、生物学者リン・マーギュリスや気象学者アンドリュー・ワトソンなど正統派科学者の中にも賛同者が増え、当初は否定的だった科学誌『Nature』もこの説を評価するに至って、1990年代以降は一般にも広く認知される正論になりました。

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1962年に生物学者のレイチェル・カーソンが〝鳥達が鳴かなくなった春〟という仮想現実の世界を描くことでDDTを始めとする農薬や化学物質の危険性を初めて世に訴えた「沈黙の春」という名著は、今では環境保護のバイブルになっています。科学の進歩には絶えず生命や倫理の危険がつきものですが、ラブロック博士やカーソン女史のような高い志と精神性を有する人々の地道な努力と絶妙な軌道修正のおかげで着実に前へ進んできたのです。人間とは絶えず間違いと進歩を繰り返しながら禍福という縄を糾う未熟な種のようで、その精神性はなかなか進化しません。それでも数十年のスパンで見れば人類も少しずつこの自然界や地球という惑星、宇宙の摂理を理解しつつあるようです。

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人間を含めたこの地球上の生物が健やかに育つためには、食物や光合成による適切な栄養補給と、家族愛や隣人愛という愛情の摂取が不可欠です。栄養失調や愛着障害が心身の健全な発育に悪影響を及ぼすからです。愛情とは親子、恋人、友人などに無条件に抱く生物の本能であり、見返りを求めず無条件に与えることのできる感情です。大宇宙たる万物の創造主から産み落とされた生命体に等しく宿り、同時に全ての創造物が等しく享受すべき生命の根源的な滋養なのです。

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※雛を一所懸命に守るインドカンムリアマツバメのつがい

現在この地球上に噴出している自然災害の多くが「ひとつの生命体」としての地球の栄養失調や愛着障害により引き起こされた心身の不調だと考えるとどうでしょう。かつて太古の未開の人類が「神の怒り」を収めるために大自然と謙虚に向き合っていたありかたは、あながち単なる迷信ではなかったのかもしれません。人類はこれからやってくる22世紀以降の未来に向けて、今よりもっと畏敬の念を持って自然や地球、そしてそれらを包摂する大宇宙とつきあうべきではないでしょうか。

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しかし、太古の時代と違って現在以上に科学が発展する来るべき新しい時代においては、私たちの目の前に現れる大自然という偉大な神々は、太古の人間が怖れ平れ伏し、嘆願し、単に祈る対象でしかなかった畏れ多い神ではもうありません。かと言って現代の驕れる文明人たる人間が、自分たちだけの都合で乱開発し、コントロールし、搾取する対象でしかない無抵抗な神でもないのです。それはあたかも父親の前では自由に物も言えない明治時代の家父長制のような封建的な親ではなく、また立派に成人しながら年金暮らしの親のすねをかじって三度の飯を食らうような自分勝手な子供でもないのです。それら両方を融合し、互いが愛情を与え分かち合うことで成立する家族のような、同等な愛情溢れる関係性が求められるのです。

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新しい時代の神々は、広大無辺の大宇宙の中にあって、ある意味我々人類と同列の家族の一員として、無条件の深い愛情と思いやり、そしてユーモアのセンスを忘れずに共同生活を営むイコールパートナーなのです。大自然たる神々と畏れず驕らずフラットにつきあうことで、自然界からも与えられ人類の側からも与え分かち合う、そんな神々と人類の真の共生の時代が訪れることを願ってやみません…

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