2005年4月26日~一夜明けて遺体安置所
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JR福知山線脱線事故の発生初日、遺体安置所となった尼崎市の体育館に貼り付けられた私。午前2時を回った頃「交代で1時間ずつ仮眠してまた現場」という指令が届いた。
一時間仮眠して、また体育館に戻った。夜が明けて周囲は明るくなり、メディアの数も10分の1ぐらいに減っていたからだろうか、雰囲気も少し落ち着いていた。体育館から出てきた人に恐る恐る話を聞いてみると、「親族の行方が分かりません。とにかく心配です。早く助けだして欲しい」といった話をしてくれる人が少しずつ現れ