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わたしと中野サンプラザ


はじめに

2021年春、私は初めて一人暮らしをすることになった。


それまでは親兄弟と実家で暮らしていたものの、一人暮らしになる数年程前から、親が実家のある地方に戻る計画を話していたこともあり、「ゆくゆくは一人暮らしをしなければならないのだ」という自覚に至っていた。
でも、必要に迫られたから次に向けて動けただけであって、今でも「よく一人暮らし出来てるね、わたし」って思う事がしばしばあるくらいには、社会に不適合だという自覚もある。


そんな私が人生初となる一人暮らしの場所に選んだのは、東京都中野区だった。

当時勤めていた職場まで通勤するための路線があり、かつ転職活動中だったこともあり、面接や出勤等で動きやすい都内に移り住みたかったのが、その理由である。

何より都内在住なら、行きつけの新宿のバーでも終電ギリギリまでいられる。
そんな単純な理由で、この場所を選んだ。今も選択に間違いはなかったと言い切れる(笑)。

自宅から離れる期限が迫る中、路線の最寄駅周辺で安い物件をインターネットで探していたところ、中野駅から徒歩圏内の場所で安価な物件が偶然空いていた事に気付いた。
その物件の内見を申し込み、運良く即座に契約する事が出来た私は、父親が地元に戻る前に家なき子にならず済んだのであった。
(なので、未だに家賃を言うと100%の確率で人から驚かれる)


30歳手前で、人生初となる一人暮らし。
親と同居していた時から自炊や家事は出来たが、その他のことは右も左も分からない状態で、チューナーが無いと地上波でテレビも見れない事に気付いたし、入居後にインターネット契約に出遅れてしまうくらいには、自分が世間知らずという事にも気付かされた。
それでも、こうして今でも生きることが出来ている。

当時、SUUMOやHOME'Sのサイトで焦りながら物件を探していた事も、数日前のことのように思い出せる。


中野区というと、ブロードウェイのイメージが強かった私にとって、中野区での生活には非常にワクワクしたものを抱いていた。

そんなタイミングで、気づいた事がある。

「中野区って、中野サンプラザがあるじゃん」と。


私と中野サンプラザ

中野サンプラザ。

名前は聞いたことがあるけれど、中野に来るまでは行ったこともなければ、そもそもどんな用途の建物なのか全く知らなかった。
だから、駅からすぐ近くの場所にあると知った時には大層驚いたほどである。


当時、【閉館するかしないかハッキリ分かっていない施設】という印象を抱いていたのだが、いずれ無くなる可能性があるならば、一度は行っておきたいと思っていた場所でもあった。

その機会は、思いの外早くに訪れることになる。




私が初めて中野サンプラザに足を運んだのは、2021年5月30日。May'nのワンマンライブだった。


当時、観戦する予定だったプロレス興行(三沢光晴メモリアル)が、新型コロナウイルスの影響で中止に追い込まれた。
急遽、夕方の予定が空いてしまった私は、夜からワンマンライブが行われると知り、約3年振りにMay'nのライブに足を運んだのであった。


音楽業界もコロナ禍で苦戦する中、配信ライブ等を経て観客の前に立ってライブをしたのは1年数ヵ月ぶりだったという。
だからこそ、声が出せずとも振られるペンライトと拍手、演者のパフォーマンスの凄まじさに客席から見ていて圧倒された。


2回目は、2021年11月11日に行われたBase Ball Bearのワンマンライブだった。
1階席と2階席がある中野サンプラザで、初めて1階席から見た満員の光景。
事前に休みを取って、前々から聴いていたロックバンドの演奏を生で体感できた思い出は、今でも記憶に残っている。


3度目はGRAPEVINE。
春先に行われた、中野サンプラザでの2daysライブ。アンコール以外セットリストは同じだったのに、2日目に聴いても演奏に圧倒されて飽きを一切感じさせない内容。ここに、プロの凄みを実感させられた。


2022年夏には、エンタメ系のイベントでも足を運んだ。
「閉館前の中野サンプラザでプロレスが見れる!」と息巻いて行ったものの、エンターテインメントとは何かということを強く考えさせられたイベントになった。


でも、目の前の人を楽しませる人達はジャンルが異なっても人に刺さるし、3試合行われたプロレスもイベント内で一番盛り上がっていた。

プロレスファン(そもそも観客自体)が少なかったというのもあるけれど、私の実況ツイートで「それを見てみたかった」という方が何人かいらっしゃったり、飲み屋で話のフックになったりしたから、感想ツイートの効力に気付かされるイベントだった。

中野サンプラザで好きな選手(佐藤光留)の試合が見れた幸せ


私にとって最後の中野サンプラザは、2023年5月に行われたストレイテナーのワンマンライブだった。


音楽フェスでライブを見た事はあったけれど、高校時代から好きだったバンドのワンマンライブ。
そんな思い入れの強いバンドを初めて見た場所が中野サンプラザで、内容も終始素晴らしいものになった。


2023年5月から約2ヶ月にわたって行われた『さよなら中野サンプラザ』。
私がこの企画で実際に行けたコンサートはストレイテナーの1回だけだったけれど、この1回で得られた思い出が大きすぎて、「6月もサンプラザでライブがあるけど、無理繰り行かないでおこう」という気持ちになるほどの充実感が得られた。
(本当なら、The birthdayとGLIM SPANKY、ACIDMANとSPECIAL OTHERSのライブは見たかったけれど、どちらも中止に…)



2023年7月、中野サンプラザ閉館。

閉館までの約2ヶ月間にわたって、中野駅周辺を彩っていた『さよなら中野サンプラザ』の喧騒も過ぎ去り、もう中野サンプラザには2度と入れないんだろうと私は思っていた。


しかし、最後のライブが行われてから約2週間後の2023.7.17に奇跡は起きた。

日中、外出していた私は中野駅に到着すると、盆踊りのギネスブック記録更新がかかっていた事を思い出して、中野セントラルパーク方面に向かった。
すると、中野サンプラザ前で人が集まっているではないか。

気になって足を運んでみると、直後にサンプラザ中野くんとパッパラー河合によるフリーライブが開催されたのだ。


その後、中野サンプラザ内でイベントをやるという事で、人の流れに続くようにして館内へ入っていった私。


館内ではガッツリ写真が撮れたり、中野サンプラザを振り返る映像の中で色んな歴史に触れたり(時計台のところが昔は別のモニュメントだったetc)、来て良かったと言い切れる素晴らしいイベントだった。


そんな感慨に浸りながらも、確実に実感しつつある事が一つだけあった。
中野サンプラザの消滅が、すぐそこまで訪れようとしていた事だ。

まとめ

閉館から半年以上が経った2024年3月、中野サンプラザでプロジェクションマッピングが行われた。
恐らくこれが取り壊し前最後と思われる、中野サンプラザのイベント。


金土日の3日間にわたり行われたイベントは、最終日だけ行けたけれど、当日は生憎の雨。

それでも、当日は動線が整備されて観覧席が設けられた為、多くの人達が最後の勇姿を目にすることが出来た。


私が中野区に引っ越してきて、2024年4月で3年を迎えた。
実質約2年半くらいの僅かな期間ではあったが、中野サンプラザでの思い出や印象深い場面が出来たので、私は幸せ者だったのかもしれない。


まだ中野サンプラザに行ったことが無い時期に、ここに行ってみたいと思った好奇心だったり、


自宅から徒歩十数分圏内の会場なのに、全席完売の公演を配信で見ることになったり、
(行けなかった人がら会場前のベンチで配信を視聴する姿は印象的だった)


JR中野駅8番線ホームの6号車停止位置から見る中野サンプラザが一番キレイだと感じたり、


さよならグッズが買えたり(笑)、



中野から中野サンプラザは無くなってしまうけれど、私にとっての中野サンプラザで体感できた思い出は死ぬまで消えない。


そんな中野区から、私は今のところ離れる予定はないし、可能ならこの場所にとどまっていたい。
そう感じるくらい、私にとって思い入れの深い街になりました。

これからも宜しくね、中野区。
そして、ありがとう中野サンプラザ。

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