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不完全であることが美しい"龍安寺の石庭"

石庭(方丈庭園)が特別名勝として知られる、京都龍安寺。代表的なこの枯山水の日本庭園は、その後の作庭様式、ランドスケープに多大な影響を与えているが、作者や石の配置など明らかにされていないことが多く、謎に包まれている。

修学旅行以来、大人になってから子どもと一緒に訪ねてみると感じ方がまた違った。

禅苑の名刺である龍安寺は、1450年足利尊氏の管領職にあった細川勝元が創建。応仁の乱で焼失するが、勝元の子・政元によって再建。



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1.少ない構成要素が真髄のみを語り、見る人に解釈を委ねる

枯山水とは、禅の思想に基づき、水を使わず石や砂で自然や宇宙を表している。大小15個の石がランダムに配置されている。どこから見ても1つ、他の石に隠れてみえる配置であり、「不完全さ」を意図しているという。しかし作者不明であるため、何故この石の配置にしたのか、どこかの景色を模したのかなど謎が多く、見る人の感じとる余白を残している。
自分もまたこの庭を見て不完全であることが許容される安堵を感じる一方、では不完全さとは何か、どの部分なのかなど、あれこれ考えを巡らすこととなる。

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2.度重なる焼失と復元により石庭の今がある

龍安寺は3度の焼失と再建を経験している。一度目は応仁の乱の時、この時は勝元の実子・政元が再建した。2度目は江戸の後期、3度目は昭和4年。庭のサイズや石の配置は微妙に変わっているらしい。それでも当初の白砂が復活したり、この美しい庭が今に残されていることがありがたい。

3.「吾、ただ足るを知る」は現代へのメッセージ

「つくばい」と言われる茶室の手前にある手水鉢。水戸光圀の寄進である。このつくばいにはちゅうおの穴を口にみたてて、「吾、唯足るを知る」を意味する漢字4文字が彫られている。これは今自分にあるものに感謝するべき、という意味である。誰かと比較して見劣りを感じたり、不便さを恨んだりすることが多い現代。そうではなく、今自分に置かれた環境、親や友人に感謝することが大切なのだと500年前からメッセージを発し続けている。

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自分を取り巻く環境や年齢によってこの庭の見え方は変わってくる。また世の中の不安が取り払われた頃にまた訪れてみたい。

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