レルイ・ルクル

高校3年生

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コミュニケーションツールとしての学問※どうでもいい

人にコトを(教える/学ぶ)ことは、①興味を媒介としたコミュニケーションとしての様相、そして、②金銭を媒介とした取引としての様相を呈しうるが、学問というものがこの社会に大きく居座っていることからして、②の様相の方がその本質に近いとは考えづらそうだ。つまり、学問的なものの本質は興味を媒介としたコミュニケーションであり、金銭を媒介とした取引としての学問的な何かの存在はそれに付随する現象と見るべきだと推論できる。 で、俺が今から書きたいのは①の方の学問についてなんだよね。よろしくお

コミュニケーションツールとしての学問※どうでもいい

    成人所感

    自分の背が10cmくらい高くなったようだから、不思議に思ってよく見れば、私の精神は頭上十数センチに固定され、さながらブルーアーカイブのようだ。 それは常に私を見下ろし、それは私であると主張する。私と私の周囲のコトを、あたかも同質のものであるかのように視る。そうして視る世界は、今までと同じようで、同時に全く異なるものであるようだ。 "自分"はいつも下にあるので、大人はいつも俯いている。"自分"は"自分以外"よりも頻繁に視るものだから、俯いている。こうして俯いて、時が小型船から見

    田舎の高校生は、コトコト揺れるボックスシートでひとり、スマホを見ることも音楽を聴くこともなく、見慣れた車窓はただ流れゆく(秒速5センチメートル 感想)

    旅をするだろうか. それともあなたは田舎の高校生だろうか. 北海道の一部、或いは山陰地方で、よくこういう景色を目にするのだ. (両毛線は、少し学生が多すぎる) 彼女は何を考えているのだろうか、とおもう 晩秋の蒼く醒めた空に彼女の薄い髪が陽に照らされ光る. その手元には、小さな紙切れ この空に、この霞んだ山並みに、一体幾らの物語が重なって、どれだけの胸が締め付けられて 空のアオは、この風景は、在るのだろう そしてお前や俺は、青い空に目を背け、山並みをコンクリート

    田舎の高校生は、コトコト揺れるボックスシートでひとり、スマホを見ることも音楽を聴くこともなく、見慣れた車窓はただ流れゆく(秒速5センチメートル 感想)

    【ネタバレ注意⚠】アニメの文学性が否定された日(『すずめの戸締り』 感想)

    『すずめの戸締り』の感想が固まった。 メタすぎる内容で正直あまり書く気が起きないが、ゆっくり少しずつ書いていこうと思う。 まず、映画を見終わった直後の感想は、「ブラボ〜」だった。心から拍手をしたくなった(ギリギリしなかったけど)。こんなに素晴らしいのに、なぜ誰も拍手しないんだと思った。 映画館を出た時、世界は少し鮮やかだった。そして何より、久しぶりに旅行をしたくなった。旅をしたい気持ちを思い出した。 とても"よい"とおもった。 映画は、とても"よ"かった。 しかし、2つ

    【ネタバレ注意⚠】アニメの文学性が否定された日(『すずめの戸締り』 感想)

    去年の夏の僕、夢について

    [以下、1年前に書いた、『カフカ短編集』読書感想文の全文] 夢日記をつけたことはあるだろうか。筆者はつけたことがある。この作品を読んでいて、はじめは翻訳がおかしいと思った。しかし、それはもはや表現の問題ではなかった。筋書きがくるっているのだ・・・そしてふと、気がついたのである。これは夢日記だ、と。 夢の世界はいつも狂っていて、しかし現実的なものだ。往診に行かなくてはならないのに、村のだれも馬を貸してくれなくて困っていると、家の庭の壊れた豚小屋に馬と馬丁がいて、ひどく安心する

    去年の夏の僕、夢について

    視界#1 再会を喜ぶ宇宙人たち

       ハチ公のとなりで20分ぐらい待たされた   待ち合わせにはいっつも丁度か数分遅れて行くタチなので、こういう経験はほとんど初めてと言ってよい    周りには、同じように待たされている人たちが沢山いる。少し待たされすぎでは無いかと思う。今の時代、時間ピッタリに行くことは出来るはずなのに…   しばらくその物語に思いを馳せたりして楽しんだ。    驚いたことに、そりゃ、あたりまえだけと、毎分一人またひとりと待ち人は入れ替わる。その2回に1回は、多少重みのある再会であるようだっ

    視界#1 再会を喜ぶ宇宙人たち

    Note#2 ──戒め 1.1

    一、孫の顔を見ることを価値とせよ。 一、親に対してあ?って返事するのは、喋りかけんなってことらしい。 一、子供に、親の心配を気にさせるな。それは愛では無く執着である 一、親は常に子供を守るものでは無い。子供は、時に死ぬものである。 一、教育とは、環境という名の枠を設け、それを頑なに同じ形に維持することである。 いくら叩いたり撫でたりしても、身体の形が変わることは無い。

    Note#2 ──戒め 1.1

    ヨミカキ

     こんなことせずに えいごのれんしゅうでもしたほうがいいんだろうけど やっぱりぼくはこういうことをしてしまう。  とりあえず すらすらよみかきできるくらいになるまで かきつづけようとおもう。

    会話と散歩(ソロ)

    帰りのことを考える気が起きない すごくいる 隣にいた頃の       が             と呼んでいたころの      が 僕の中にいるのは、生前の        だった 幸せ ワクワクする 舐めてない方向に導いてくれる 世界を見てその中を歩く 拾うもの全て拾って 解って、喜んで それは向こうも同じだったはず 世界は、広くていろいろある。 電車を見たら、別の形の電車を考える 住宅地に入ればその情報量に心から驚愕する 太い道に飽きたら、路地裏に入ればいい 地球が丸いのな

    会話と散歩(ソロ)

    Note#1 社会と人間と鬱 総まとめ【入試必携】

    "暇"は人間を研ぎ澄ます しかし、社会に出れば、人は人間性を減らし、出来の悪いAI(かつては、それもまた人間と信じて疑わないことが出来たが)と化す。 出来の悪いAIは、自分が人間であることを信じて疑わない。 なんせ、周囲には似たようなものたちによって成る「社会」なるものが存在し、それによって人間が存在し得ているように見えるからである。 しかしそういった形で存在する"人間"は、「お前の、出来の悪いAIの部分」である。 暇が訪れたとき、即ち出来の悪いAIが職を失った時、人間は、

    Note#1 社会と人間と鬱 総まとめ【入試必携】

    探究していいものといけないもの。

    人が嫌がることをしてはいけません。 人を殺してはいけません。 赤信号を渡ってはいけないんだよ。  世界に、「人間がやってはいけないこと」など存在しないと、思っていないだろうか。 すべては時と場合によるのだ。そういう言葉のどれをとっても、世界中の全ての人間の有様をまざまざと理解した時、それを全ての人間に対して心から言うことは出来ないのだと。 思っていないだろうか。 もちろん、そう思っていた時期が、私にもあった。しかし今はひとつだけ、「やってはいけない」と思うことがある。

    探究していいものといけないもの。

    今週のお題:秋のイチオシ食べ物

    『学校の近くの公園に大きめのきのこが生えていたので、賑やかしに採っできたのですが、調べてみるとイボテングタケと言うやつで、かなりいいかんじの毒キノコでした。イボテン酸というアミノ酸が、めちゃくちゃ旨いのと同時に脳を少しバグらせるみたいです。吐き気と下痢がひどいらしいので代償も大きいですが。 こんな街中にもこのような自然の毒が生きのこっているというのは、なんだか頼もしいなぁと、思います。』

    今週のお題:秋のイチオシ食べ物

    せめて、女の子にしてくれよ。

    僕にとって母にあたる彼女は、僕を褒める時、きまって「かわいい」といいました。勿論、嫌なことをすると、○○してえらい、と云うふうに褒められました。でも、何にもしないで褒められるのは「かわいい」だけでした。話によると、それは母の祖母由来とのことでした。 存在としての価値を無条件に「かわいい」という文化と、女の子を無意識に優遇する担任の先生という名の社会の上に産まれたのだから、女の子に対して劣等感を抱かない方が無理があるのです。 少し前まで、僕にとって道端の女子は、僕の胸を締め付

    せめて、女の子にしてくれよ。