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私の“I love you”の和訳と束縛反対論

こんばんは。relly25です。本日は、私にとっての
“I love you”の和訳、理由に伴う束縛反対論を書きたいと思います。


好きな人への言葉で世界でいちばん有名なのはI love youなのではないでしょうか。

I love youの有名な和訳として、夏目漱石の「月が綺麗ですね」があります。

みなさんは、I love youをどのように和訳しますか?

私はこの問いについて考えた時に次のように考えました。

「私のいないところでも幸せでいてください。」

私は、I love youを伝えたくなるような大切な人には、私がいないところでも笑顔で、元気で、健康でいて欲しいと願います。

だから、私は恋人に束縛など一切しない。
明確な理由は2つ。

まず、その人のこれまでやこれからもの環境を受け入れるべきだと思うからだ。
その環境にいてこそその人ができていて、完成したその人をあなたは好きになったと思う。

その環境に納得がいかなくても好まなくても、その環境とその人との相対関係は確かだし、あなた自身の趣向や価値観で否定できることでは無い。

恋人になったからといってその人の行動を制限できる権利を得たわけじゃない。
付き合った途端、相手の行動を自分好みにしてもいいと勘違いしている人が一定数いる。お門違いだと思う。

好きになって、付き合って、一緒に過ごす時間が増えて、あらゆる個性が見えてきて、自分好みなところは置いたまま、嫌なところは否定するなんて自分勝手もいいところだと思う。

(でも、不満はどのカップルにも必ず存在する。
その時私たちは話し合うようにしている。
私は〜が悲しかった、嫌な気持ちになった、等。
その後の行動は彼に任せる。
そうして、これからの約束事をする。

方法は、色々あると思う。)

そう思うから私は、恋人の環境については一切口出さない。異性の友達との交流、異性の方もいる同僚との交流。オールオッケーである。

もし他の異性と、なんて可能性は一切考えない。私と出会う前からの交流であれば、その人となにかあるとすれば出会う前からなってるだろうし大丈夫だろう、こんな感じだ。

私と出会った後の交流でも、どの異性でも、私のいないところで揺らいだのであれば、この人と結婚まで至らなくて良かったなと思う。
私にとって、私の幸せはとても大事。

この世の中に私以外の異性はたくさんいる、だから見える範囲で制限しても、意味が無いとまで思う。
制限されなくちゃ他の異性に浮つく人は、こちら側が制限しても、制限外のところで浮つくと思う。
そして不思議なことに、人間は制限した事こそ興味が駆られる生き物だ。

それともう1つは、私の存在が幸せを損なう存在になるのだけは阻止したいからだ。
彼が赴いた先で、新たな発見があるかもしれない。その邪魔をしたくない。

私が束縛をしない理由は、彼のためであり私のためである。

でも、一定数異性絡みに不安を抱く人はいると思う。恋人の浮つきを心配していると言うより、あなたが好きになるほど魅力的な人だから、誰かにとっても魅力的であるのは確かだし、それをどこかでわかっているからなのかなと思う。

人は似た者同士が惹かれ合う。
だからあなたが浮つく要素があるのなら相手にも秘めてるし、あなたが全くないから相手にも無い。
あなたが大丈夫なら、相手も大丈夫だ。
もし相手が結果的に大丈夫じゃなくて、許せないのであれば、似た者同士じゃなかったんだなって時間は掛かるかもしれないが、割り切れる時は絶対に来る。

私は、私のいないところでも全く心配が無いほどの信頼関係が築けていることに幸せを感じる。

その人だからなのか、付き合ってすぐ私の考えを話して、お互いの環境に口を出さないことをルールに、制限を一切なしにしたから信頼関係を築けたのか、相対関係はわからないが、結果的に良かったと思う。

私は、どのような場面でも全力で送り届けたいと思う。「いってらっしゃい」って言って、帰ってきたら「どうだった?」って聞いて。

今日の彼の予定はイマイチわからないが、多分どこかで笑っていただろう。
今も彼が幸せでありますようにと思った時に、私はこの人を愛しているんだなと気づける。

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