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これが「有我祐紀」

こんにちは!

「そもそもお前誰や!」

「お前何してるの?」

「何目指してるの?」

そんな方々に向けて自己紹介と僕の思いを記していきたいと思います!
普段出さない本音を書きます!

自己紹介

名前:有我祐紀(うがゆうき)
   この名字珍しいですよねー笑
生年月日:1999年2月13日(バレンタインの前日って覚えてください!)
出身地:愛知県豊田市🚘

現在は、広島の大学で理学療法学を専攻している4年生です!
コロナの影響で実習がなくなりそうで卒業ができるか否かという恐怖に見舞わられています。。笑

活動内容

中学サッカークラブ トレーナー帯同
小学生陸上クラブの運動指導
医療学生向けイベント 主催
パーソナルケア・トレーニング 指導
子供向けブログ執筆委託         などなど

こんな感じです!
特にすんごいことは何一つないです笑

そんな僕が、なぜTwitterで発信したりこうしてnoteを使って
有我祐紀という人間を発信しているのでしょうか?

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有我祐紀の人生の目的

僕はこれといった夢はありません。

あるのは、たくさんのやりたいこと

夢はないけどやりたいことはたくさんある。
自分でもなんか不思議なこと言ってる気がしています笑

僕は、人生においての目的があるんです
その目的を達成するためだったら、やることはなんでもいいということで

これといった夢がないと言ってます笑
なんとなくでも伝わったら嬉しいです!

それで僕の人生の目的というのは

スポーツ・運動を通して人々の心身をともに豊かにする
そして、関わる全ての人を心から笑顔にする

これです!僕の人生はこの目的で作られています!

では、なぜこの目的に至ったのでしょうか?

長くなりそうですが、お付き合いください🙇‍♂️🙇‍♂️🙇‍♂️

今の有我祐紀を作り上げた21年間

僕は有我家の次男坊としてこの世に生まれました。(いや、そこから?笑)

小さい頃から外で遊ぶことが大好きで、川に行って魚獲りをしたり、木登りしたり、泥まみれになったりと今思うと本当にやんちゃな子でした。笑
今でも覚えているのは、保育園にお母さんに送ってもらって
お母さんとの別れが悲しすぎて、毎日泣いていたことです笑
いわゆるマザコンでしたね笑笑

まぁとにかく社交的で、遊ぶことが大好き
先生には怒られまくりのわんぱくボーイでした笑

そんな中、兄の影響で小学1年の頃からサッカーを始めました!

今思えば、このサッカーとの出会いがなければ、今頃こんなことはしていないのだろうと感じます。
当初はただただサッカーが好きで、ボールが蹴るのが楽しくて練習に行くのが毎週の楽しみでした
小学2年まで入っていたチームでは、同学年の子がいなくて常に兄の学年に出て試合をしていました。怖いもの知らずの僕は、思い切りあたりに行って吹っ飛ばされまくってました笑
そこで、キーパーをたまたました時に楽しくて、キーパーへの憧れを一時期持ったこともあります笑

そんなこんなで小学生の間は楽しくサッカーをしていたのですが、
サッカーが下手だった僕は、市の選抜に奇跡的に選ばれて完全に鼻が伸びていました。(夢はもちろんプロサッカー選手!)

しかし、この頃からでした。

僕の両膝に悪魔が襲いかかってきたんです。

練習が終わった後、身動きの取れないくらいの痛みが両膝に毎回襲いかかってくるんです。

病院に行って、

二分膝蓋骨(膝のお皿の分離症)です。
手術しないと治りません。

そう言われました。
当時の僕はなんじゃそりゃ!!っていう感じでした。

それから、毎日のように病院や接骨院に通って治療をしてもらっていましたが、痛みは気持ち治ったかな?くらいでした。

なんども親にお願いして、たくさんの病院や接骨院に連れて行ってもらって

やっと出会ったが僕がこの業界を目指すきっかけになった柔道整復師の先生でした。

中学生になった僕は

膝の怪我の他には特にこれといった怪我はなく
ただただ膝の痛みと戦う日々を送っていました。

もちろんサッカーの練習や試合はしていましたが、全く思うような結果は出ず、ただでさえ下手なので市の選抜にはもちろん落選。。

当時父さんの影響で陸上もしていましたが、陸上の記録も今ひとつ。
(走るのは今も昔も大好きです!)

そして何気なく、中3になり進路に迷いました。

そこそこ勉強ができた僕は、
愛知県内の進学校でサッカーで全国出場経験もある「刈谷高校」
に行くと決め、もう勉強しました。

その後、見事刈谷高校に進学した僕はさらなる高い壁にぶち当たりました。

みんなサッカー上手すぎる

もちろん、県内強豪校ですからみんな上手いんですよ。
そして圧倒的に僕が下手すぎたんですね。。

『3年後、トップで試合に出れるのだろうか?』

『このままでいいのだろうか?』

そう思った僕は毎日毎日居残り練習などして必死に食らいついていました。

この流れ的には、
お!その勢いでAまで上り詰めた!?
という感じになるかもしれないのですが、

現実そんなに甘くありませんでした。

そこで僕が直面したのは

「怪我」

またこれですよ。
1年生の頃は今まで通り膝の痛みを騙し騙しプレーをしており
強度が急に上がった中で、体のケアよりも練習を優先していた僕は

もも前・もも裏の肉離れを繰り返したいました。

リハビリの期間に肉体改造を心に決め
筋トレをゴリゴリしていた僕は

復帰後にB1に昇格しました!!(チームはA・B1・B2という別れ方でした)

おっと、急展開!!

こんな下手な僕でしたが、ディフェンスには自信があり
そこを評価してくださった先生が上げてくれました。

そして2年生になり、新1年生が入ってきたため
ライバルも増えました。。

そんな中、奇跡が起こったんです!

なんと入れ替えの時期にAチームに上がることができたんです!!

嬉しすぎて調子に乗っていた僕は、練習に励みました。
周りはAチームということもあって本当に上手でなんとかついていこうと
必死でした。

そこでまた悪魔がやってきました。

今度は鼠蹊部。。

グロインペイン症候群というやつです。

少し前から痛み出し、でもなんとかやれると思ってプレーを続けていました。

ここでやめたら、またBチームに落ちる。。。

でも、限界がきました。

走れなくなり、ボールも蹴れず、歩くのも痛い。

地獄でした

リハビリ行きが決まり、同時にBの降格が決まりました。
(まぁもちろん痛みを我慢しながらのプレーでは、ただでさえ下手な僕は評価してもらえるわけがなかったんですよ)

また必死にリハビリをして、復帰後にはなんとしてもAチームに戻ってやる!

そう意気込んでました。

そしてなんとか復帰した僕でしたが、B2からのスタートでした。

最初はB2でもなんとか出してもらえてた感じでしたが

数週後にB1に上げてもらい、Bの3年生最後の試合には
スタメンで出させてもらって、少しは3年生に恩返しできたかなと思っています。

その後すぐに入れ替えがあり、また奇跡的にAチームでやらせてもらえることになりました。(どれだけ奇跡起こるんでしょうか?笑)

そして夏休みに社会人チームとの試合がありました。

Aのサブとして出させていただいたいたのですが、

試合中、今でも鮮明に覚えています

来たんです。あいつが

悪魔ですね

黒人フォワード(通称:鉄アレイ)とのマッチアップ時に
全力疾走でボールを追いかけている僕の足を
鉄アレイに引っ掛けられ転倒。

時が止まりました

右腕が動きません。

痺れています。

左手でそっと右肩らへんを触りました。

あ、すごい

折れてる。。

鎖骨骨折でした。

また、また、リハビリやん。

悔しすぎて家で泣きまくりました。

両親には本当に迷惑かけてました。ごめんなさい。

一応Aチームへ籍を残しつつ、プレーができない期間が2ヶ月続き
また必死のリハビリ生活でした。

復帰したら3年生の選手権でした。
もちろんベンチで終えました。
(もともと先輩の試合でスタメンで出れたことなかったんですが笑)

選手権後、一個下にスタメンを奪われ絶望の最終学年が始まりました。

ちょくちょく怪我もあり、安定しないので当然と言えば当然でした。

しかし、転機が訪れました!

春休みの遠征でフォーメーションが変わり、たまたま僕のプレーが調子よく
遠征最終日でスタメンで出ることができたんです!!

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そしてスタメンが定着!

3年生にしてやっとトップの舞台に立てました!

インターハイ予選が始まり、
僕らは20年ぶりに1位で全国大会出場を決めました!!!!

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全国大会の舞台は「広島」
(僕が今広島に来ているのは必然だったのかも?笑)

夏休みが始まってすぐ、大阪に遠征に行き
そのまま広島で調整して全国大会
という流れでした。

ワクワクでいっぱいでした!笑

大阪遠征には市立船橋をはじめとする強豪校が勢揃いで
僕らは最初に広島皆実高校と対戦しました

前半15分

キーパーからパスを受け取り振り向こうとした瞬間

右足に激痛が。。。

相手フォワードが足元に突っ込んで来ていて

僕の右足首は捻れていました

足関節の内外側の靭帯損傷(重度)
そして僕には足関節に三角骨がもともとあったらしく
その三角骨とやらが遊離してしまったんです。(有痛性三角骨障害

立てませんでした。歩けませんでした。

インターハイ全国大会6日前

絶望でした。。
今までは、怪我してもなんとかなると思ってましたし
実際なんとかなってきました。

でも今回さすがに心がポキっと。

折れました。

でも、悲しんでる暇はありません。
すぐにトレーナーさんに連絡して、何をしたらいいのか聞いて
実践して、少しでも動かせるようにと必死こいてました

大会前日、やっと5割くらいで走れるようになり
ボールも軽く蹴れるようになりました。

大会当日に最終チェックして行けそうだったら出場させてもらうという決断になりました。

そして、大会当日テーピングぐるぐるでアドレナリン全開でなんとか
出場でき、1回戦突破しました。

試合後はとにかく痛くて、次の日も試合だったため
トレーナーさんに頼りまくってケアをしていただきました。

そして2回戦目、相手は鹿児島城西高校(大迫半端ないって!の出身校)

鹿児島城西

もう、本当に強かった笑

1−4で敗北し、僕らのインターハイは終了しました。

その後はもちろん選手権に向けて切り替えました。

しかし、僕の足はすでに限界。

インターハイ後そのままリハビリになりました
8月〜10月までずっと。10月には県予選が始まるのに。。

少しずつ痛みは減って生きましたが、骨が遊離しているわけですから手術しないと治るものも治らないです。

しかし、手術したら選手権は出れない。

葛藤の末、手術をせずにリハビリとテーピングでなんとかすることにして
選手権に出場しました。

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本当にトレーナーの方にはお世話になりまくりました。。

僕らは順当に勝ち進み、県大会決勝まで行きました。

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相手は東邦高校、雨の決勝戦でした

前半、僕のミスからコーナーキックを与えてしまいました。

そして、、、、

失点。

やっちまった。

その後はこちらのペースでしたが、得点は遠く

最後のホイッスル。

0−1

悔しかった。自分のせいで。負けた。

もっと練習できていれば、怪我がなければ
自分が出なければ。

たくさん言い訳が出てきました。
たくさん涙も出てきました。

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僕らの高校サッカーは終わったんです。

その後1週間くらいは、受験勉強にも身が入らず
抜け殻状態でした。

でも僕は思ったんです

『僕の人生はこれからやん』

プレーヤーとしては、終わった。
でも、

スポーツに関わりたい
何よりも自分のような怪我で苦しむ人に少しでも寄り添う存在になりたい
自分のような怪我をしないようにしたい

そう思うようになってからでした

理学療法士になろう。そしてスポーツに携わろう

そのためにいい大学はないかと探して、今通っている「広島大学」を見つけ
受験すると決め勉強に身が入り始めました!


そして広島大学に見事合格した僕は、気分上々⤴︎⤴︎


この続きは次回。


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有我祐紀(うがゆうき)

○所属
 広島大学医学部保健学科理学療法学専攻4年

○活動内容
 SNSで #うがトレ を発信!
 アスリート パーソナルトレーニング&コンディショニング
 中学サッカークラブ トレーナー帯同
 多岐にわたるイベント主催

○運用SNS・Web
Twitter:https://twitter.com/uganda0213
 有我祐紀の日常や#うがトレ動画を配信中!!




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