欲について/体の声を聴く

頭と体で欲が違うんかなあと思った。

ある日のこと。外でご飯を食べようぞという時に、頭ではいっぱい食べたい気持ちだったがぐっと堪えて頭で考えるより少なめに食べてみた。

意外と結構お腹いっぱいになった感覚。満足した感覚だった。結局、食べた時間が早めだったため夜半にお腹が減ってしまって、我慢しきれず食べてしまったが、その量ももっと減らせていたと思う。頭の欲に負けてしまった。

たぶん、体の声よりも頭の声の方が近くで大きく鳴り響いている為に人は頭の欲に負けがちなのではないのかと思った。

心の声というのもあるだろうか。この三つがバランスが取れていると中々良いのではないかな。

頭は外の刺激に弱くて他人の言動だったり暑いとか寒いとか環境のストレスに影響されやすい。それ故にか常に気を張って欲も張っているので、もっと食べたいもっと寝たいもっとだらだらしたいと本気で思ってなくても喚いている。あるいは本気でそう思ってると錯覚している。

欲張りな頭を抑えてやれば、丁寧な、確かな質感を体や心に感ずることだろう。たぶんね。頭に負けなければ。

おそらく、頭と体と心、そして他者や環境などと全てにおいてピタッ、と波長を合わせられる、そういう回路を持つ人を涅槃と呼ぶのだろう。


土井善晴さんの『一汁一菜でよいという提案』読み出していたら、似たようなことが書いてあった。"ご飯や味噌汁をおいしいと感じて受け入れるのは、私たちの「身体」です。(略)お肉の脂身やマグロのトロは、一口食べるなり反射的においしい!と感じますが、それは舌先と直結した「脳」が喜んでいるのだと思います。(略)どうも脳というのは、身体と反対の方向を向いていることがあるように思います。この頃は「脳に騙されるな」、あまり脳を信じてはいけないと思っています。"


あるいは頭と体を繋ぐ筋のようなものがあってその間を取り持ってるのが心、なのかもしれない。

頭と体は切り離せないので、頭の言うことばかり聞いて体を振り回すと体は疲弊して壊すことに繋がるかもしれない。

それに、まずは気付けたのがよかった。すぐさま実行するのは難しくとも体の声にもっと耳を傾けてみよう。三十過ぎてまあ遅すぎるということもないだろう。体の声を聴いて体に合った生活をすることがこれからの暮らし、自分個人にとっても社会に対した自分にとってもいいような気がする。




加藤サイセイ

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